鷹撃谷城(たかちがや)
 別称  : 大井城
 分類  : 平城
 築城者: 藤井宗常・常守か
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR中央本線/明智鉄道恵那駅徒歩15分


       <沿革>
           天文年間(1532〜54)に岩村城主遠山景任が大井へ進出した際、その家臣の藤井宗常・常守
          兄弟が築いたとされる。宗常は大井城主となったとされることから、鷹撃谷城には常守が入った
          とも考えられるが、詳細は不明である。
           元亀三年(1572)に武田信玄が美濃に進出し、岩村城や大井城が攻め落とされた。鷹撃谷城も
          このときに落城し、そのまま廃城となったとも推測されるが、確証はない。


       <手記>
           鷹撃谷城は大井市街の北の阿木川河岸上に築かれた崖端城とみられます。南東に大井城跡
          とされる大井小学校があり、街道を挟み込んで相互に補完し合う関係にあったと考えられます。
           主郭は畑地だったそうですが、耕作放棄地となってしばらく経っているようで、郭内は夏草の藪
          となっていました。主郭の北東辺とみられるラインに土塁状地形があり、その上に「大井城跡」の
          標柱が埋もれていました。これは、市の史跡としてはこちらが大井城とされているためで、実際に
          史料上の「大井城」がどちらを指しているのか確定をみていないようです。
           土塁状地形についても、畑地造成に伴う後世の造作ともいわれていますが、北西辺に見える
          空堀は、遺構とみてよいでしょう。また、南東側の線路手前にも空堀状地形が見受けられますが、
          すぐ脇まで住宅地となっているので遺構なのかは分かりません。

           
 北東辺の土塁状地形。
北西辺の空堀。 
 同上。
同上。 
 土塁状地形上の標柱。
郭内のようす。 
 南東側の空堀状地形。
 遺構かは不明です。


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