竹谷城(たけのや) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 松平守家 | |
遺構 : 曲輪、土塁、虎口 | |
交通 : 名鉄蒲郡線蒲郡競艇場前駅または JR東海道本線三河塩津駅徒歩15分 |
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<沿革> 岩津城主松平信光の長男守家によって、いわゆる十八松平の1つ竹谷松平家の居城として 築かれたとみられている。ただし、分家した時期については定かでない。また、竹谷の所領に ついては守家が売買によって入手したとする伝承もある。 4代清善は、今川義元の勢力が三河に伸長すると、今川氏に従った。しかし、永禄三年(15 60)の桶狭間の戦いを契機に宗家の松平元康(徳川家康)が自立すると、清善も今川氏から 離反した。このとき、人質に出していた娘が殺されたとされる。 天正十八年(1590)に家康が関東へ移封となると、6代家清は武蔵国八幡山に1万石を与え られた。これにより、竹谷城は廃城となったものと推測される。 <手記> 竹谷城は、東に尺地川が流れる緩やかな小丘の上に位置しています。北西端と南東端に 虎口があるのですが、後者は民家の庭先を抜けるのでとても見つけづらく、北西端から入り 南東端から出るルートを推奨します。 虎口といってもそれほど凝ったものではなく、かつては先端側に曲輪が付属していたそう ですが、基本的に広々とした単郭の館城といった印象です。要害性が高いともいえず、国人 領主の居館という以上の機能はもっていなかったように感じられます。この点は、同じ十八 松平の五井松平家の五井城にもみられ、鵜殿氏の上ノ郷城とは好対照といえます。 |
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北西端の入り口。 | |
北西端の虎口脇の土塁。 | |
城内のようす。 | |
城内の城址碑。 | |
南東端の虎口。 |