多摩ニュータウン391遺跡
付 植松太郎兵衛屋敷(うえまつたろべえ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : 京王相模原線京王堀之内駅徒歩10分


       <沿革>
           『東京都遺跡地図』に記載があるが、詳細は不明である。

       <手記>
           『遺跡地図』に記載はあるもの、実際に発掘調査で見つかったものは平安時代と
         推定される溝跡(堀跡?)のみのようです。実際にあったとしても、平安時代の開発
         領主の館程度のものということなのでしょう。古地図と照らし合わせてみると、谷戸
         の脇の窪地にあたるようです。現在はマンションが建っていて、遺構はおろか旧地形
         をうかがうのも困難です。
          『新編武蔵国風土記稿』には「植松太郎兵衛屋敷跡」という項があり、井草森稲荷
         神社の東方に、四方を堀切の跡に囲まれた館跡があったとされています。今日では
         遺構は失われ場所も定かではないようですが、この391遺跡は稲荷社があったと
         される井草屋敷跡の、ちょうど東に位置しています。391遺跡の南には692遺跡
         もありますが、こちらは井草屋敷から見ると少し南東寄りのように見えます。いずれも
         井草屋敷からはひと峰越えるので、井草森稲荷神社を基点とするのはやや不自然
         ではありますが、現況城館跡と認識されているもので『記稿』の記述に合うのはこの
         両遺跡しかありません。有力視できるほどの材料もありませんが、検討には値する
         のではないかと思われます。
          ちなみに、植松氏は後北条家臣と推測されているものの、出自や事績などは不明
         です。

           

比定地現況。


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