大寺城(おおでら)
 別称  : 藤田鴫城
 分類  : 山城
 築城者: 石川光祐
 遺構  : 曲輪、切岸
 交通  : JR東北本線須賀川駅またはJR水郡線
      磐城石川駅からバスに乗り、「南宿」
      下車徒歩5分


       <沿革>
           平安末期に石川郡に入植した石川(源)有光の長男光祐は、承保元年(1074)に炭釜村を
          与えられて鴫山に城を築いた。この城は、有光ないし光祐の旧居城とされる藤田城にちなみ
          藤田鴫城と名付けられた。
           十三代光義は、文安三年(1446)に藤田郷から薬師如来や十二神将などを東福寺に移し、
          城名や地名を大寺と改め、自身も大寺氏を称したとされる。
           石川氏は戦国大名への脱皮をついに果たせなかったといわれ、大寺氏をはじめ一族分家
          は代々自立色が強かった。天正十年(1582)、19代大寺清光は所領を巡る諍いから宗家の
          石川昭光に反旗を翻した。しかし、油殻平での合戦に敗れ、大寺城まで攻め込まれたため
          降伏した。
           天正十七年(1589)、伊達政宗が須賀川城に二階堂氏を攻めると、政宗の叔父にあたる
          昭光は伊達勢として参陣した。これに対し、清光は反昭光として二階堂氏に与同したため、
          戦後に所領を没収され、城も廃されたと伝わる。


       <手記>
           大寺城周辺は丘陵が複雑に入り組んでいますが、今では福島空港やあぶくま高原道路が
          建設されているため、訪城は難しくありません。南東中腹に城址公園の駐車場が整備されて
          いて、南麓の東福寺向かいから行くことができます。
           山自体はとりたてて険阻という感じではありませんが、幹線道路となっている北麓一帯には
          かつて湿地帯が広がっていたとみられています。山頂の主郭を中心として四方に伸びる尾根
          に腰曲輪を配していて、そのうち主郭の北東にあたるものを富士の丸と呼ぶそうですが、そこ
          は公園から外れているようで、藪化していて入れませんでした。
           遺構としては削平地を回る程度で、眺望や憩いを求める市民の憩いの公園としての色合い
          が強いかと思われます。タイミングが合えば、おそらく福島空港に発着する飛行機なども目に
          できるでしょう。

           
 北麓から大寺城跡を見上げる。
駐車場脇の散策路入り口と説明板。 
 主郭のようす。
同上。 
 主郭の「大寺城主之碑」。
主郭からの眺望。 
 主郭北尾根の腰曲輪を望む。
同じく南西尾根の腰曲輪を望む。 
 南尾根の堀切状地形。


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