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山中新右衛門屋敷(やまなかしんえもん) |
別称 : 中山勘解由下屋敷 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : 多摩モノレール大塚・帝京大学駅徒歩10分 | |
<沿革> 天正十八年(1590)、小田原北条氏が滅び、徳川家康が関東に入国すると、北条家臣 山中新右衛門が徳川家に仕官し、和田村内に269石を与えられた。新右衛門の屋敷は 現在の高蔵院境内とその東側にかけて建設された。新右衛門の子七左衛門は、承応 二年(1653)に、事件に巻き込まれて落命し、山中家は断絶した。山中領は収公されて 幕府直轄領となったが、屋敷のその後については不明である。 高蔵院の寺伝によれば、和田村は家康の入国以前には北条家重臣山角氏の所領で あったとされる。江戸時代初期の検地帳には、山角氏が和田村内「関戸並木」に68石余 を領していたとある。並木とは、高蔵院北東の小谷戸近辺を指す地名とされる。北条氏 時代に山角氏の館ないし代官施設が高蔵院周辺に存在したとも考えられるが、確証は ない。 このほかに、北条氏照の家臣中山勘解由の下屋敷があったとする伝承もある。中山氏 は武蔵七党のひとつ丹党加治氏庶流で、代々勘解由の通称を用いた。中山氏の屋敷は 氏照の居城滝山城の麓にあったとされているが、和田村周辺に知行を得ていたかどうか は定かでない。 <手記> 屋敷跡とされる高蔵院は、江戸時代以前には和中山安養寺と呼ばれていました。寺の 東には現在も「お屋敷」の屋号が残っているそうです。 屋敷跡は大栗川の河岸上に位置し、東側にも小さな谷戸が入り込んでいます。領主の 館として十分ありうべき地形ですが、遺構などは見受けられず、北条氏時代にも何らかの 施設が存在していたか否かは判断できません。 寺の南側門前を東西に横切る道路は、台地の尾根を断ち切る切通し道のようにも見え ます。もしこれが古くからの道であれば、あるいは堀底道であった可能性も考えられるか と思います。 |
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高蔵院。 | |
西側台地下から境内を見上げる。 | |
門前の道路。かつての切通し道か。 |