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中山屋敷(なかやま) |
別称 : 中山勘解由屋敷 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 中山家範 | |
遺構 : 削平地 | |
交通 : 京王線京王八王子駅よりバス 「滝山2丁目」バス停下車徒歩5分 |
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<沿革> 滝山城主北条氏照の家臣中山勘解由左衛門家範の居館と伝わる。その位置について、 『新編武蔵国風土記稿』には「小名中山谷戸」とあり、『武蔵名勝図会』には「勘解由谷」と ある。2つの谷はそれぞれ異なる場所を指しており、『日本城郭大系』では「立地条件」から 前者を採用している。 中山氏は、武蔵七党の1つ丹党加治氏の一族とされる。家範は、永禄十二年(1569)の 廿里の戦いで氏照から2千の兵を預かり小山田信茂の軍を迎え撃ったが、敗れて滝山城 へ退却した。 天正十八年(1590)の小田原の役では、主君氏照が小田原城に籠り不在の八王子城 に詰め、上杉景勝・前田利家らの大軍を迎え撃った。家範は、この戦いで利家を唸らせる ほどの働きをしたといわれるが、多勢に無勢で城は落ち、妻とともに自刃した。生き残った 長子照守は、後に徳川家康に仕え、水戸徳川家の付家老となった。 <手記> 記述上、家範屋敷とされる場所は2ヶ所ありますが、ここでは『大系』にしたがっています。 一応『図会』にしたがうならば、勘解由谷の正確な位置は定かではありませんが、丹木村 と谷野村の境ということから、現在は創価大学の敷地内になっているものと思われます。 同地には東京都遺跡地図に丹木境遺跡として登録されている中世城館跡があります。 『大系』にある比定地は、少林寺墓地の南200mほどのところで(上図の緑丸)、谷戸の 東側の台地上とされています。今では畑地となっていますが、山の中腹を方形に削平した ようになっていて、あるいは館跡を利用したものかもしれません。中山谷戸は滝山城の東 の登城口にあたり、この場所に重臣の屋敷が設けられていたとしても、不思議ではないで しょう。 |
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中山谷戸のようす。 ちょうど写真の中心あたりが屋敷跡比定地となります。 |
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比定地現況。 |