垂井城(たるい) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 長屋氏 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR東海道本線垂井駅下車徒歩5分 | |
<沿革> 今須城主長江氏の一族の長屋氏によって築かれたとされ、北西200mほどのところに 長屋氏の居館がある。天文年間(1532〜55)、長屋景興は垂井城から相羽城へと居城 を移したとされる。景興は天文十六年(1547)に斎藤道三に相羽城を攻め落とされ、戦死 した。その後、垂井城の動向について不明な時期が続く。 慶長五年(1600)、豊臣秀吉の馬廻であった平塚為広が、1万2000石で垂井城を与え られた。為広は、大谷吉継とともに石田三成の挙兵を諫止したが聞き入れられず、同年 の関ヶ原の戦いで西軍に与し、内応した小早川秀秋ら相手に奮戦したが、衆寡敵せず 敗死した。戦後、垂井城も廃城とされた。 <手記> 西に位置する長屋氏屋敷と同様、北の垂井宿そして相川に望む台地の端に築かれて います。城跡は現在の専精寺周辺といわれ、寺門の脇に石碑と説明版がひっそり建て られています。 城の眼前は南宮大社の参道となっていて、また城のすぐ北側には名水であり歌枕にも なった垂井の泉があります。一年を通して涸れることなく水温も一定で、夏は冷たく冬は 温かい清水だそうです。訪れたのは11月でしたが、たしかに早朝の朝寒のなかで手を 温められるほどにぬくい水でした。 なお、城主平塚為広は義将ではあるものの歴史的には事跡も少なく、さほど重要人物 とも思われないのですが、KOEIの某ゲームでは代々なぜか優遇されている武将です。 |
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専精寺の石碑。 | |
垂井の泉から城跡を望む。 |