長屋氏屋敷(ながやし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 長屋氏
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線垂井駅下車徒歩10分


       <沿革>
           今須城主長江氏の一族で、垂井を領していた長屋氏の屋敷跡である。長江氏初代長江義景の
          5代子孫にあたる長屋景頼が、美濃国垂井に移り住んだと伝わる。
           南北朝時代の正平八/文和二年(1353)、南朝方に京を追われた北朝の後光厳天皇は、足利
          義詮らとともに垂井へと逃れ、美濃守護土岐頼康を頼った。頼康は、天皇のために長屋氏屋敷の
          隣に垂井頓宮を造営し、ここで足利尊氏の軍勢を出迎えた。頓宮は北朝の仮御所とされ、尊氏は
          長屋氏屋敷を自身の居所として使用した。
           天文年間(1532〜55)に、長屋景興は居城を垂井城から相羽城へ移した。同十六年(1547)、
          相羽城は斎藤道三に攻め落とされ、景興も討ち死にして長屋氏宗家は滅んだ。長屋氏屋敷もこの
          ころまでには廃されていたものと推測される。
           ちなみに景興の孫可重は、後に飛騨高山城主金森長近の養子となった。


       <手記>
           長屋氏屋敷は、北に垂井宿と相川を望む台地の端にあり、西側を相川の支流が洗っています。
          遺構は残っていません。跡地に茂る椿の木は樹齢500〜600年を数え、屋敷の生き証人となって
          います。また、どれかは判然としませんでしたが、屋敷跡の石碑の1つが天明八年(1788)建立の
          古碑だそうです。
           南東200mほどのところには、同じく長屋氏によって築かれ、慶長期に平塚為広の居城となった
          垂井城があります。

           


長屋氏屋敷跡。写真の椿は樹齢500〜600年の古木。


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