中根城(なかね)
 別称  : 天神ヶ森城
 分類  : 山城
 築城者: 遠山景道か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR飯田線平岡駅から車で25分


       <沿革>
           南西の木沢城の城主遠山新助景道との関連が指摘されているが、詳細は明らかでない。
          景道は和田城主遠山土佐守景直の弟で、江戸時代には病弱だった景直の子・景重を補佐
          して政務を代行したとされる。景重死後の元和四年(1618)に旗本・遠山家が改易となると、
          景道も禄を失って浪人となったが、同八年(1622)に遠山郷へ入ろうとしたところ、大河原村
          (現・大鹿村)で旧領民の待ち伏せに遭い、殺害された。背景には、遠山家が江戸時代に
          入って領内に圧政を布いたことがあるといわれる。


       <手記>
           中根城は和田宿の北東、遠山川と上村川の合流点に望む峰上に築かれています。北西
          付け根の道路沿いに説明板が建ち、民家脇の道路を入ったところで藪に埋もれた登城口
          を抜けると、主郭までの道が付いています。途中の左手に堀切があり、訪城時には丸太が
          堀底に積まれていました。この堀切は、中ほどに土橋が渡っていて、副郭を経て主郭虎口
          まで通じています。また、堀切の城外側に土塁が設けられているのも特徴です。
           主郭は広々としていて、土壇状の段差で上下2段に分けられていますが、遺構かどうかは
          不明です。郭内には刑部様とも天神様とも呼ばれる小祠が祀られ、その脇には城址標柱も
          建っています。祠の祭主が刑部様である場合、遠山景直の従弟に高平館主遠山刑部政善
          があり、中根城と何らかの関係があったとも考えられますが、確証はありません。
           主郭から前方尾根を辿ると、こちらにもやや浅いですが堀切が1条見られます。遠山氏の
          城館としては面積の大きな方といえますが、構造は単純で、とくに主郭のだだっ広さが気に
          なります。
           中根城の南西には木沢城のほかに熊野城もあり、和田宿への出入り口を押さえる重要な
          城砦であったといえるでしょう。中根の北東には、「信州のマチュピチュ」と称して近年注目を
          集めている下栗の里があり、険しい山筋に集落が張り付くように続いています。おそらく当時
          は中根城の脇を上がり、そのまま尾根筋を登っていく秋葉街道の脇往還があり、中根城には
          広い空間を活かした領主の城館以外の何らかの役割があったのではないかな、と個人的に
          推察しています。

           
 道路沿いの説明板。
登城口。藪を抜けると道があります。 
 北側の堀切。
同上。 
 堀切を渡る土橋。
堀切脇の切岸。 
 堀切の城外側にある土塁。
副郭五指に主郭を望む。 
 主郭虎口。
主郭のようす。 
 主郭内の段差。
城址標柱。 
 刑部様ないし天神様と呼ばれる小祠。
先端尾根の堀切。 
 堀切の向こう側のようす。


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