野口城(のぐち) | |
別称 : (手良野口の)春日城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 野口甚吾か | |
遺構 : 曲輪、堀、土塁 | |
交通 : 中央自動車道伊那ICより車で20分 | |
<沿革> 現地説明板によると、明治三十六年(1903)に内務省神社局に届けられた報告書に、 仁治二年(1241)に野口甚吾が西山に城を築き、三の郭に春日社を祀ったことから春日 城と呼ばれるようになったとあるとある。 史料にはみられず、詳細は不明である。 <手記> 野口八幡神社の裏山ということから境内から登ったのですが、道が途中でなくなって しまっています。私が訪れたときはなぜか全山が重機を数台入れて裸山にされていて、 ようよう主城域に取りついたところ、北東斜面に訪城者用の駐車場が設けられている ことに気付きました。ツイッターのフォロワーさんの話では間伐ということで、とくに城跡を 見やすくとかいうわけではないようなのですが、城内にはあちこち標柱や説明板があり、 保全したいのか崩したいのかどっちなんだろうと、未だに???です。 ということで、見やすくはなっていたので、曲輪の土塁や堀のようすが手に取るように 分かったのは眼福でした。特徴的なのは、主郭背後と六の郭先のそれぞれ2つの堀切 が、下方で1つの竪堀に合流しているところです。この造作は、宮田城や守屋山城など などにも見られる伊那平の山城の特徴といえます。いずれも最終的な改修者は分かり ませんが、伊那衆によるものとすれば地域史としてかなり面白いのではないかと考えて います。 とにもかくにも、全山丸裸のインパクトが強く、伊那は継続的に訪れる予定のある地域 なので、今後どうなっていくのかこちらで報告できればと思っています。 ちなみに、説明板にあった「野口甚吾」云々の話は個人的にかなり眉唾です。明治期の 報告で「甚吾」という時代に見合わない名乗り、当時の開発や築城状況を鑑みれば疑問 は尽きないので、現地説明板でも「そういう話があるよ」的な書き方に見えました。私見 としては、伊那の山城の特徴と春日城の別称から、伊那部氏および伊那衆の手による ものではないかと思います。 |
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主郭のようす。 | |
主郭から前方を望む。 | |
主郭後背下の二の郭を見下ろす。 | |
主郭背後の堀切。 | |
二の郭背後の堀切。 | |
両堀切が1つの竪堀に合流するところ。 | |
二の郭のようす。 | |
二の郭背後2条目の堀切。 | |
主郭北東尾根の三の郭のようす。 | |
三の郭から主郭を望む。 | |
主郭南東尾根下。 主郭と四の郭の間の堀。 |
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四の郭のようす。 | |
四の郭から堀切越しに、 五の郭(中央左のピーク)とその先を望む。 |
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五の郭北東側尾根の六の郭。 | |
六の郭先の二重堀切。 | |
二重堀切が1つの竪堀に合流するところ。 |