土佐屋敷(とさ)
 別称  : 河村館、河村土佐屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 不詳
 交通  : JR御殿場線山北駅よりバス
       「岸」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           浅間山の南東麓に土佐屋敷と呼ばれる一画があり、河村城主関連の館があったと
          推測されている。『河村古城図』にも「土佐屋敷」について記載があり、「東西七十九間、
          南北六十一間 堀深サ一丈 幅二間」とある。
           平成五〜六年(1993〜94)に行われた発掘調査で、字土佐屋敷周辺から東西250m、
          南北150mの方形居館址が見つかった。出土した遺物から、15〜16世紀ごろに使われ
          ていたものと推定されている。このころには河村氏は滅び、河村城は上杉氏や大森氏、
          次いで後北条氏の手に渡っていた。したがって、土佐屋敷は3氏支配下の河村城主の
          平時の居館であった可能性が高いといえる。

       <手記>
           土佐屋敷は、河村城と峰続きの浅間山の南東麓、三方を峰に囲まれた典型的な館
          地形の地にあります。さらに南東200mほどのところには、河村秀清の屋敷があったと
          される字秀清屋敷があります。
           『日本城郭大系』では「河村土佐屋敷」として、河村氏関連の館跡と推測しています。
          しかし、字名が「土佐屋敷」というだけで、「土佐」なる人物が河村氏一族であるという
          確証はありません。発掘調査のとおり土佐屋敷が室町時代の館跡であるとすれば、
          むしろ上杉氏や大森氏、ないし後北条氏家臣で河村城主を務めた人物に、「土佐」を
          名乗る者がいたと考えるべきであろうと思われます。
           屋敷跡周辺はのどかな蜜柑畑となっていて、表面観察では遺構の有無は判別でき
          ません。地図に点で示したところに河村館についての説明板が設置されているのが、
         唯一の手がかりです。

           
 河村館跡説明板。
字土佐屋敷周辺現況。 


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