豊島清光館(としまきよみつ)
 別称  : 豊島氏館、豊島清元館
 分類  : 平城
 築城者: 豊島清光(清元)
 遺構  : なし
 交通  : 地下鉄南北線王子神谷駅徒歩10分


       <沿革>
           豊島氏は坂東八平氏の1つ秩父氏の庶流で、秩父将常の次男武常が治安三年(1023)に武蔵国
          豊島郡に所領を得たことにはじまるといわれる。清光は武常から数えて4代目とされるが、清光前後
          の豊島氏の家系図にはかなりの混乱がみられるため、詳細は不明である。清光の諱についても、
          「清元」であったことが近年の研究から指摘されている。
           また、清光の館がそれ以前からの豊島氏の館の継続使用であることは想像に難くないため、実際
          には「豊島氏館」あるいは「豊島清元館」とするのが正確と思われるるが、ここでは一般的な『日本
          城郭大系』の表記に従い「豊島清光館」とする。
           清光は、治承四年(1180)に挙兵した源頼朝に早くから従い、平氏討伐や奥州藤原氏攻めなどで
          活躍した。その後、鎌倉時代に豊島氏の本拠は平塚城、次いで石神井城へと移り、清光来の館は
          廃されたものと思われる。廃城については、戦国時代の平塚城や石神井城の落城と期を同じくする
          とする説もあるが、確かなことは不明である。


       <手記>
           隅田川(かつての入間川)の岸辺に建つ清光寺が、豊島清光の館跡といわれています。ただし、
          遺構は見つかっておらず、確定はしていません。清光の正しい諱が「清元」であったとすれば、清光
          寺という名称もかなり後になってつけられたものということになります。おそらくは、文明十年(1478)
          の平塚落城による豊島氏没落以降の再興ということでしょう。
           清光寺は、隅田川が大きく蛇行する手前の河岸にあり、鎌倉時代前後の開発領主らしい選地と
          いえます。現在では、寺の入り口の縁起に館について触れられているのみです。


           


豊島氏館比定地(清光寺)。


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