戸塚城(とつか)
 別称  : 小宮山城
 分類  : 平山城
 築城者: 小宮山氏
 遺構  : なし
 交通  : 埼玉高速鉄道戸塚安行駅徒歩3分


       <沿革>
           成田氏家臣小宮山氏の居城とされる。鴻巣市箕田にある宝持寺は、寶持院金峯道剛大禅門と
          曹寶院珠室大禅尼の2人を開基とし、寶持院の俗名は小宮山弾正、曹寶院はその妻女とされる。
          『新編武蔵国風土記稿』では、小宮山弾正と戸塚城主と伝わる小宮山弾正介忠孝を同一人物と
          推測している。『成田家分限帳』には、小宮山忠孝について永楽二百貫文を所務せしとある。一方、
          成田氏の居城忍城に近い小谷城も、小宮山弾正の持ち城とされている。この点について、忠孝は
          一時期岩付太田氏の家臣であったともいわれる。
           戸塚城は、天正十八年(1590)の小田原の役の後に廃城になったとみられている。 


       <手記>
           戸塚城は西から延びる舌状台地先端に築かれた城です。北と南に現在放水路が流れています
          が、当時は谷筋の小川があったものと推測されます。
           城跡のすぐ南に埼玉高速鉄道戸塚安行駅があり、周辺は急速に宅地・市街地化が進んでいる
          ようです。おそらくついこの間まで畑しかなかったのだろうことが手に取るように分かる乱開発ぶり
          です。地元で城山あるいは竜賀山と呼ばれていた戸塚城址も造成が進み、もはや城があったこと
          を想像するのも困難です。開発に先立ち発掘調査が行われ、数条の大規模な空堀が発見された
          ということです。
           周辺には遺構はもちろんのこと、案内も説明も見当たりません。せっかく発掘調査で大きな成果
          を挙げたのですから、せめて説明板の1つでも設置してくれればと願うところです。いくつかある
          「城山」と付くアパートメントのみが、唯一ここに城があったことを匂わせています。
           発掘調査の結果から推測される戸塚城の縄張りや規模は、成田氏の一家臣の城とは少々考え
          にくいほど複雑で大きいように思われます。隣村の立野村には後北条家臣藤波氏がいたとされる
          ことからも、戸塚城は北条氏の指導の下で改修を施されたものとみるのが妥当と考えられます。

           
 戸塚安行駅前から戸塚城址を望む。
戸塚城址現況。 


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