塚口城(つかぐち)
 別称  : 塚口御坊
 分類  : 平城
 築城者: 塚口御坊
 遺構  : 土塁跡、堀跡
 交通  : 阪急神戸線/伊丹線塚口駅徒歩5分


       <沿革>
           塚口城の源流は、塚口御坊を中心とする寺内町である。塚口御坊は、応永十六年(1409)に
          浄土真宗興正寺門主性曇上人が創建したと伝える。その後、時期は不明だが堀と土塁で囲繞
          された寺内町に発達し、尼崎地方の一向一揆の中心地となった。
           天正六年(1578)、有岡城主荒木村重が織田信長に反旗を翻すと、村重の子村次が守備する
          尼崎城(大物城)との中間に位置する塚口寺内町も、支砦として取り立てられた。しかし、同年
          十二月には丹羽長秀・蒲生氏郷らが塚口に進駐しており、荒木方は塚口城を蜂起したとみられ
          ている。
           翌七年(1579)末に有岡・尼崎両城が落ちると、塚口城も役割を失って廃されたと思われる。

          
       <手記>
           阪急塚口駅北東の、ゾウリムシ状のエリアが塚口城跡です。南辺は不明瞭なものの、その他
          の3辺の堀跡は、水路や道路となって辿ることができます。地内町の中心である塚口御坊は、
          今日の正玄寺付近とされ、境内に説明板が設置されています。
           また、東町門・清水町門・南町門の3か所の出入口には、土塁跡とみられる塚の上に小社や
          地蔵尊が祀られています。周囲が京阪都市圏で市街地化されているなかで、寺内町の輪郭が
          これだけはっきり残っているというのは貴重なように思いました。

           
 東町門跡の小社。土塁跡か。
東町門脇の堀跡。 
 清水町門跡。
南町門跡。 
 塚口御坊跡とされる正玄寺。
西辺の堀跡をなぞる生活道路。 


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