九十九山城(つくもやま) | |
別称 : 江甫山城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 細川氏か | |
遺構 : 曲輪、石塁、土塁 | |
交通 : JR予讃線観音寺駅からバスに乗り、 「室本」下車徒歩20分 |
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<沿革> 一般に、細川伊予守氏政によって築かれたとされているが、確証はない。観音寺所蔵の『弘化録』 によると、氏政の祖先は代々伊予守を名乗り、享徳元年(1452)に金堂を再興した細川伊予守信之 まで遡ることができる。隣領の仁尾城主細川氏とは同族と思われるが、詳しい系譜は不明である。 『西讃府志』によれば、氏政は天正年中(1573〜92)に九十九山城を攻め落とされて滅んだとされ、 その時期は同六年(1578)に長宗我部元親が本篠城や藤目城を攻略してまもなく、遅くとも翌七年 (1579)三月三日に仁尾城が落城するより前とみられている。この攻防戦で、城方は激しく抵抗した ものの、土佐勢が間道からも進軍してきたため城内は混乱をきたし、城兵が四散したとされる。陥落 した後の九十九山城については定かでない。 <手記> 九十九山城は海に臨む円錐形の独立山に築かれています。現在の山名は江甫山ないし江甫草山 ですが、いずれも読みは「つくもやま」です。北東麓の蓮光院駐車場が登山者用に開放されており、 ありがたく使わせていただきました。境内から登山道が付いていて、道中はミニ八十八箇所めぐりと なっています。 城内で最初に辿り着く遺構は、おそらく土塁で囲まれた方形の凹空間でしょう。枡形のようにも見え ますが、どのような構想で形成されているのかは定かでありません。その先は少し開けていて、脇に 防空壕のような洞穴があります。さらに登っていくと、階段状に多くの曲輪が広がっていて、部分的に 石塁の跡が見られます。この地域では珍しい石塁や曲輪の数の多さは、もともと山岳寺院か何かが あった可能性を想起させますが、それぞれの曲輪は、僧坊などを建てるには手狭に感じられるため、 個人的に謎として残っている点です。 山頂の主郭は、前後に土塁を伴う比較的広い空間となっています。主郭背後には3段ほど曲輪が 続き、いずれも外縁の土塁が残っているのが印象的です。またこちらも、部分的に石塁の跡が認め られます。西端は展望台のようになっていますが、やや木が伸びてしまっていてそこまで眺めが良い とはいえません。また、海に面した急崖ということもあり、こちらから攻められることはあまり想定して いないように見受けられます。 |
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北から九十九山城跡を望む。 | |
登山口の蓮光院。 | |
土塁で囲まれた枡形の空間。 | |
土塁を伴った曲輪。 | |
同じく腰曲輪。 | |
腰曲輪群と石塁跡。 | |
同上。 | |
主郭下のやや広い曲輪。 | |
主郭虎口。 | |
主郭のようす。 | |
同上。 奥に前方の土塁が見えます。 |
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主郭後方の土塁。 | |
主郭背後1段目の曲輪と土塁を俯瞰。 | |
同曲輪の土塁を外側から。 右手に石塁跡が見えます。 |
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同じく腰曲輪と土塁。 | |
西端の曲輪からの眺望。 |