前田城(まえだ)
 別称  : 古内城
 分類  : 平城
 築城者: 土肥頼景か
 遺構  : なし
 交通  : JR奥羽本線十文字駅徒歩25分


       <沿革>
           現地の石碑碑文によると、大永年間(1521〜28)のはじめごろ、増田城主土肥頼景が
          一城を築き、矢差鬼保呂羽神社の神主守屋志麻(志摩?)の次男隼太に自身の長女を
          娶らせ、太郎左衛門勝景と名乗らせて城主としたとある。
           子孫は古内氏を称したとされ、文禄四年(1595)に最上義光が雄勝郡に侵攻したとき
          には、古内多左衛門が居城したとされる。増田城主土肥道近は最上氏に寝返り、対岸
          の岩崎城も攻め落とされているため、前田城も最上方の手に渡ったと推測されるが、
          その後の動静については不明である。



       <手記>
           上の地図に示したバイパス脇に、前田城の石碑が建てられています。秋田県の遺跡
          地図によると、石碑のあたりは北東端とされているのですが、そうなると城域はおそらく
          当時湿地帯だったとみられるあたりになるので、大いに疑問です。おそらく、周辺諸城と
          同じく、横手盆地に散在する浮島のような集落を囲って作られた城だっと思われます。
           この石碑の裏に上述の来歴が記されているのですが、御影石に浅く彫り込まれている
          ので、これがとにかく読みづらい!その場で読むのは早々に諦め、写真に撮ってじっくり
          時間をかけて解読しました。
           碑にある「矢差鬼保呂羽神社」とは、おそらく大森町八沢木の保呂羽山波宇志別神社
          のことと思われます。実際に、同社の別当は大友家と守屋家の両家が務めていたそう
          です。

           
 前田城址碑。
比定地現況。 


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