八木城(やぎ)
 別称  : 八木藤兵衛道家居館
 分類  : 平城
 築城者: 八木親家
 遺構  : なし
 交通  : JR奥羽本線十文字駅からバスに乗り、
      「平和通り角」下車徒歩15分


       <沿革>
           増田城主土肥氏の一族とみられる八木親家によって、永禄年間(1558〜70)に築かれた
          とされる。親家は、主君小野寺義道の乳兄弟である松岡藤兵衛道家を、養嗣子に迎えた。
          文禄四年(1595)に最上義光が雄勝郡へ侵攻した際、増田城主土肥道近は最上氏に内応
          したが、道家は義道に従った。増田城や岩崎城が最上勢に奪われているので、八木城も
          落ちたものとみられるが、その後の処遇については不明である。


       <手記>
           八木は、増田のすぐ西側にある皆瀬川の沖積地上の集落です。上の図に示したところに
          「史跡 八木藤兵衛道家居館跡」の標柱がポツンと立っていて、それによると付近を「ドウケ
          屋敷」、すなわち道家の屋敷跡といわれているそうです。
           一方、秋田県の遺跡地図では、これより南方の八木神社付近を八木城址としています。
          たしかにぱっと見は城館跡らしい雰囲気はありますが、やはり「ドウケ屋敷」の小字の方が
          根拠としては強いように思います。あるいは、標柱付近から神社付近までが城域だったとも
          考えられなくはないでしょう。

           

「史跡 八木藤兵衛道家居館跡」標柱。


BACK