山田光教寺(やまだこうきょうじ)
 別称  : 山田坊
 分類  : 平城
 築城者: 蓮如
 遺構  : 土塁
 交通  : 加賀温泉駅からバスに乗り、
      「中央公園口」下車徒歩10分


       <沿革>
           吉崎御坊に仮寓していた本願寺法主・蓮如によって、文明六年(1474)ごろに山田坊が
          開かれたのが始まりとされる。蓮如の四男・蓮誓は、蓮如が畿内へ戻って以降も北陸に
          留まり、越中一向一揆を指導した後に山田坊へ移り、同十八年(1486)に光教寺を建立
          した。
           長享二年(1488)の長享の一揆で本願寺派が加賀国の支配権を奪取すると、光教寺と
          若松本泉寺、そして波佐谷松岡寺の3寺院が「賀州三ヶ寺」ないし「加賀三山」と呼ばれ、
          加賀の門徒を統率する立場となった。ただし、蓮誓自身は越中の一向一揆にも関与して
          いたため、「両御山」と称された本泉寺・松岡寺ほどには、影響力を行使できなかったとも
          いわれる。
           大永元年(1521)に蓮誓が没すると、子の顕誓が光教寺を継いだ。このころ、永正三年
          (1506)に朝倉氏との戦いに敗れて越前から加賀へ逃れた(藤島)超勝寺や和田本覚寺
          と賀州三ヶ寺の間で対立が激化していた。享禄四年(1531)、三ヶ寺は遂に超勝寺討伐
          の兵を挙げたが、これに対して本願寺法主・証如の外祖父である蓮誓の異母弟・蓮淳は
          超勝寺を支援した。
           光教寺は三ヶ寺の中で最後まで抵抗を続け、加賀の動乱に介入せんとした加賀守護・
          富樫氏や能登畠山氏、越前朝倉氏らの加勢を受けたものの、同年中に陥落した(大小
          一揆)。顕誓は逃亡した後に破門され、光教寺も廃寺となった。


       <手記>
           現在の光闡院境内が山田光教寺跡とされています。光闡院自体は戦後に建立された
          のだそうで、寺院名は蓮誓の坊名である光闡坊(光専坊)に由来しています。蓮如ゆかり
          の寺院跡とはいえ地元有志が建てたという経緯からか、寺というより民家のような佇まい
          でちょっと拍子抜けでした。
           境内は北側が台地の縁、そして東西に浅い谷戸が入り込んだ三方斜面の要害地形を
          成しています。そして残る南辺には高土塁がそびえ、光教寺が本願寺らしい城郭構えで
          あったことが窺えます。土塁と境内入口の間には、蓮如か蓮誓かは分かりませんがお坊
          さんの石像が建ち、境内には「蓮如上人御舊跡」の石碑もありました。

           
 「蓮如上人御舊跡」碑。
蓮如ないし蓮誓上人石像。 
 石像裏手の高土塁。
東側の沢谷。 
 同じく西辺。


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