八日市場城(ようかいちば) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 長尾氏ないし、諏訪頼忠か秋元長朝 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR上越線・両毛線新前橋駅徒歩20分 | |
<沿革> 慶長六年(1601)、総社藩1万石に封じられた秋元長朝は、植野に総社城の築城を開始し、 完成までの仮の居所として八日市場城に寝食した。総社城は、9年後の同十五年(1610)に 落成し、長朝は八日市場城を廃して移った。 長朝の前の総社領主であった諏訪頼水は、天正二十年(1592)に奈良梨から移っている。 諏訪氏の陣屋について、やはり八日市場に設けられていたともいわれるが、確証はない。 また、さらに遡って、八日市場から牛池川を挟んだ対岸には、総社長尾氏の居城蒼海城が ある。古絵図には、巣鳥神社前の八日市場の存在は記されているものの、城郭関連の記述 はない。しかし、八日市場は蒼海城の大手前にあたり、広大な蒼海城の広義の一部となって いた可能性も否定できないと思われる。 <手記> 昌楽寺一帯が八日市場城址とされています。遺構や案内はありません。昌楽寺は、南方 に対して一段高くなっており、地図上からも小台地の先端にあったことがうかがえます。 |
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昌楽寺。 | |
蒼海城との境をなす牛池川。 |