舘山城(たてやま)
 別称  : 館山城
 分類  : 平山城
 築城者: 伊達氏か
 遺構  : 石垣、堀、土塁、櫓台、虎口
 交通  : JR奥羽本線米沢駅からバスに乗り、
      「館山四丁目」下車徒歩15分


       <沿革>
           史料上は、天正十二年(1584)に伊達輝宗が家督を嫡男政宗に譲った際、隠居城と
          したとされる。城自体はそれ以前から存在したとみられているが、詳細は不明である。
          城普請の間、輝宗は家臣鮎貝宗重の館に仮寓していたとされる。
           輝宗は翌天正十三年(1585)の粟ノ巣の変で落命するが、その後の舘山城について
          も詳らかでない。近年では、発掘調査の結果などを踏まえ、舘山城が晴宗来の伊達氏
          の居城だったのではないかとする説が呈されている。


       <手記>
           米沢市街の真西、鬼面川と大樽川の合流点に突き出た細い峰先を利用した城です。
          この城跡で特筆すべきは、とにかく地元の理解が深いという点で、北から鬼面川の橋を
          渡って南下すると、「私有地に付 立入り大歓迎」と書かれた印象的な標柱があります。
          登山口までの山麓館跡部分も、普通なら畑地や更地になっていそうなところ、きれいに
          草が刈られ見通しも万全でした。城内も、発掘とあわせて見学者用のルート整備などが
          成されており、官民の歯車ががっちり噛み合ったまさに見本のような史跡と感じました。
           城は、連郭式に大きく3つの曲輪からなっており、先端の曲輪が最も広く、付け根側が
          最小です。最高所は付け根側の曲輪の物見台と呼ばれる小ピークですが、主郭は先端
          の曲輪とされ、こちらから曲輪T・U・Vとふられています。物見台からは見下ろされる
          格好となりますが、虎口が付け根側を向いていることから、先端の曲輪が主郭と考えて
          間違いないでしょう。
           一方で、曲輪Tへは南北双方の麓から直接進入できるルートと虎口があり、防衛面
          からみるとやや脆弱性を残すつくりとなっています。とくに曲輪UやVに麓から登る道や
          虎口が見当たらない点は特徴的で、当初は曲輪Tだけだった砦が、後に拡張されたと
          みることも可能と思われます。曲輪Tの枡形虎口には石垣が用いられていますが、その
          他の大規模造作も含め、今日の遺構は上杉氏によるものと推定されているようです。
           私が訪れたときは、曲輪Vの発掘調査が行われているところで、物見台周辺などまだ
          藪に埋もれている箇所も多く見られました。居合わせた市の担当者の方とお話をさせて
          いただくことができ、曲輪Vにある塚を掘ってみたところ、堀切に発電所の水路を埋設
          した際に出た石礫を埋めたものだったとの情報を教えていただきました。
           さて、舘山城については、晴宗以来の伊達氏の居城だったのではないかとする新説が
          注目されています。しかし、私はこの説には懐疑的です。平時の米沢城に対する詰城で
          あった可能性は高いかもしれませんが、常時ここに居住していたとか、政宗が生まれた
          のはこちらであったとかいう「大発見」的な論調は、いささか勇み足だと思うのです。
           まず立地から見て、舘山城は米沢盆地の隅に寄りすぎています。伊達氏の本貫であり
          重要拠点である福島盆地に対しても、米沢城より遠くなるため、ここに居住する合理的
          な理由が見当たりません。逆に、米沢城は米沢盆地を治め、福島盆地と連絡するのに
          ちょうどよい位置にあり、北の最上氏累代の居城である山形城と選地が類似している点
          からも、米沢城周辺に居を置くことは充分に合理的であるといえます。
           次に、舘山城の麓には城主居館や家臣団屋敷跡とみられる遺構がある点が、居城説
          の理由と1つとされています。ですが、輝宗の隠居城や米沢城に対する詰城として整備
          されていたのであれば、そうした施設が整っていたとしても不思議ではありません。
           そもそも、舘山城が晴宗の代からの居城とするなら、輝宗が隠居城としたとする記述と
          整合性がとれません。大きな規模と素晴らしい遺構を有することは論を待ちませんが、
          だからといっていきなり定説を覆す大発見と飛びつくような風潮には、個人的に同調でき
          ません。

           
 舘山城近望。
曲輪T南麓の登城口の土塁。 
 曲輪T南辺の虎口。
曲輪Tのようす。 
 曲輪T北辺の虎口。
曲輪T西側の枡形虎口。 
 同虎口を曲輪U側から。
枡形虎口の石垣基部。 
 枡形虎口脇の竪堀。
曲輪Tと曲輪Uの間の堀切。 
 曲輪Uのようす。
曲輪U背後の土塁。 
 曲輪U北西隅の虎口。
曲輪U北辺の帯曲輪。 
 曲輪U北西の横堀状地形。
その脇の竪堀状地形。 
 曲輪Uと曲輪Vの間の堀切。
 平板の下は発電用水路。
曲輪Vの空堀。 
 曲輪V虎口前の土橋。
曲輪Vのようす。 
左手に土塁。右手中央に塚。 
 曲輪V内の塚。
 水路埋設に伴う石礫を埋めたものだそうです。
城内最高所の物見台。 
 物見台背後の堀切。
物見台と曲輪Uの間の堀切。 
 南東麓の館跡の説明板。
北麓の館跡と説明板。 
 おまけ:「私有地に付 立入り大歓迎」の標柱。


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