禅林寺城(ぜんりんじ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 千種顕経か
 遺構  : なし
 交通  : JR四日市駅または近鉄四日市駅から
      バスに乗り「下村」下車徒歩5分


       <沿革>
           三木一草と呼ばれた後醍醐天皇の側近の1人である千種忠顕の四男・顕経は、伊勢国三重郡
          二十四郷を領して禅林寺城に拠ったとされる。城がこのとき築かれたのか、もともとあったのかは
          定かでない。その後、・顕経が千種城を築いて移ったも、永徳元年(1381)、千種顕親が移城した
          ともいわれる。ただし、顕経が伊勢に住んだとする史料上の裏付けはなく、また顕親が実在したか
          についても不明である。


       <手記>
           禅林寺は今も下村集落にあり、境内には「千種忠顕卿追遠碑」という石碑が建てられています。
          もともとは天台宗でしたが、背戸時代初期に再建された際に臨済宗となったそうです。また、本堂
          (方丈)は菰野陣屋の書院を移築したものでしたが、2008年に老朽化を理由に解体され、わざわざ
          同じフォルムの木造で新築したということです。
           南北朝時代の館城ということで、遺構らしきものは見当たりません。境内の背後が1段高くなって
          いるあたり、海蔵川の沖積地を利用しているのかもしれません。

           
 禅林寺門前。
本堂(方丈)。 
元は菰野陣屋の移築書院でしたが、 
解体・廃棄してから新築したそうです。 
 千種忠顕卿追遠碑。 
境内背後のようす。 
1段高い旧地形を残すものか。 


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