膳所城(ぜぜ)
 別称  : なし
 分類  : 水城
 築城者: 徳川家康、戸田一西ら
 遺構  : 本丸跡、城門
 交通  : 京阪電鉄石山坂本線膳所本町駅徒歩5分


       <沿革>
           慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、激戦で荒廃した大津城を廃し、
          東海道に面した膳所に最初の天下普請として膳所城を築いた。この築城にあたっては、当初
          大津城を復興するつもりであった家康に対し、腹心の本多正信が周囲の山から城内を容易
          に覗けてしまうという弱点を指摘し、瀬田・窪江・膳所のいずれかに新城を築くよう勧めたこと
          によるといわれている。ただし、実際には豊臣から徳川への政権移行をアピールしたものと
          考えられる。事実、膳所築城は徳川氏による最初の天下普請である。
           築城の名手と謳われた藤堂高虎が縄張りを行い、築城には大津城の石材城門などが転用
          されたと伝えられている。初代戸田一西以降、戸田氏鉄、本多康俊・俊次、菅沼定芳、石川
          忠総・憲之と、譜代大名が目まぐるしく入れ替わったが、慶安四年(1651)に本多俊次が再度
          入封して後、維新に至るまで本多氏が続いた。
           膳所城は、大津城と同じく湖水を堀に引き入れた水城である。特徴的なのは、本丸から城の
          正面とは逆の湖側にせり出した逆L字型の曲輪である。その後、寛文二年(1662)の大地震
          を受けての大改修で、本丸と二の丸を統合するなど城は大きく改変された(地図中の緑枠は
          凡その城域を示す)。
           明治維新によって城は廃されたが、城門などが膳所神社や篠津神社などに移築され現存
          している。


       <手記>
           城の旧本丸の湖岸部分は、今日膳所城址公園として整備されています。もっとも、コンサート
          会場のような舞台などが設置されていたり、縄張図と合わない模擬の城門や塀や堀が建てられ
          ていたりと、整備し過ぎている感は否めません。
           他方、膳所神社や篠津神社に移築された城門は、大きくはないにしろ当時の威容をそのまま
          今に伝える貴重な遺構として、見ごたえがあります。
           早朝に訪れたのですが、散歩や釣りを楽しむ人が多く、朝のひとときに最適な場所と思います。

           

 膳所城址公園近影。
城址公園の模擬の堀と塀と門。 
 膳所神社表門。旧膳所城本丸表門。
篠津神社表門。旧膳所城北大手門。   
 旧東海道沿いに建つ大手門跡の石碑。


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