赤須城(あかず)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 赤須為幸か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR飯田線小町屋駅徒歩30分


       <沿革>
           信濃源氏満快流の名族・片切氏の庶流とされる赤須氏の居城である。赤須氏は片切氏2代
          為行の子・七郎為遠の後裔で、孫三郎為幸を祖とするとされるが、詳しい系譜は定かでない。
           早ければ天文十四年(1545)に福与城主藤沢頼親が武田晴信(信玄)に攻め降された際に、
          赤須氏も武田氏に従属したとみられる。遅くとも、同二十三年(1554)に晴信が下伊那へ侵攻
          するまでには臣従し、本家の船山城主片切氏らと共に武田家重臣・秋山虎繁の同心となって
          「春近五人衆」と称された。天正十年(1582)の織田信長による武田攻めで滅んだとされるが、
          詳しい経緯は不明である。


       <手記>
           天竜河岸の舌状地形を利用した城です。駐車場が用意されている一方、城内を市道が貫通
          しており、とくにヘアピンカーブとなている本郭はあまり原型を留めていません。先端から外城・
          本郭・二の郭・出城・添郭・茶の城と連郭式に続き、みどころは二の郭から茶の城にかけての
          堀跡でしょう。
           また、二の郭や添郭には土塁も巡っています。茶の城はかつてマレットゴルフ場として使用
          されていたようで、藪化が進行しています。曲輪名をそのまま受け取るなら、迎賓施設などが
          あったのかもしれません。

           
 駐車場前の城址標柱。
出郭の空堀。 
 二の郭の空堀。
同上。 
 二の郭の土塁(左側)と郭内。
本郭の空堀。 
 本郭の標柱と説明板。
本郭のようす。 
 本郭の土塁残片か。
外城の入口。堀切跡か。 
 外城のようす。
添郭から空堀越しに二の郭を望む。 
 添郭の土塁上の小社。
添郭の空堀。 
 同上。
茶の城のようす。 
 菅沼城跡から赤須城跡を望む。


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