城氏城(じょうし)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 城氏
 遺構  : 土塁、堀、虎口
 交通  : 近鉄大阪線伊賀上津駅徒歩20分


       <沿革>
           城氏は伊賀郷士の1家とみられるが、詳細は不明である。旧青山町内には勝地と
          阿保に同じく城氏の城館があり、また丸山城の近くにも城氏館があるが、伊勢路の
          城氏との関係は明らかでない。
           天正七年(1579)と九年(1581)の天正伊賀の乱において、隣の掛田城が2度とも
          戦場となっているが、このときに城氏城でも戦闘があったか否かも定かでない。


       <手記>
           掛田城の東隣の尾根筋北側中腹に築かれた伊賀式城館です。城内への明確な
          登城路はないようで、東方にある善福寺の墓地から峰上へ登り、スライドして背後
          の堀へと辿り着きました。途中には古墳らしき塚がみられます。
           城は山麓側を除く三方を土塁と堀で囲まれ、背後の空堀は元地形に起因すると
          思われますが、北西先端側に進むに連れて浅くなっています。城内は東辺の土塁
          の中ほどに虎口状の開口部があるのが特徴です。開口部で切り離させた前方の
          土塁の先には、小さなお社が祀られています。
           掛田城が大きく拡張・改修されているのに対し、城氏城は手を加えられた形跡が
          みられません。天正伊賀の乱に際しては、とくに戦場とはならずに放置されていた
          とも考えられます。

 善福寺墓地から城へ向かう途中の古墳。
南東隅の堀と土塁。 
 南西辺の堀と土塁。
北西隅付近の空堀。 
 北西隅の土塁を城内側から
城内のようす。 
 同上。
東辺土塁の虎口状開口部。 
 
 東辺土塁先端の小社。


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