新田目城(あらため) | |
別称 : 荒田目城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 新田目小八郎か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR奥羽本線十文字駅からバスに乗り、 「荒田目」下車 |
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<沿革> 『探訪ブックス 日本の城』には、築城者として新田目小八郎の名を挙げているが、 典拠や新田目氏の出自などは不明である。天正年間(1573〜92)には新田目内膳 が城主であったとされる。 文禄四年(1595)、最上義光が雄勝郡へ侵攻して湯沢城を攻め落とすと、続いて 新田目城のほか今泉城、植田城、角間城、鍋倉城が攻撃された。5城とも落城した といわれるが、詳細は不明である。 慶長二年(1597)、小野寺義道は兵を興して植田城を拠点とし、湯沢城の奪還を 図った。文禄四年時に5城を失っていたとすれば、義道はこのときにこれらの城館を 回復したことになる。しかし、小野寺勢は大島原の戦いで押し返され、逆に最上勢 によって新田目城を含む諸城を失った。 翌三年(1598)、義道の弟で最上氏に降っていた西馬音内茂道が帰参し、奇襲に より新田目城ら諸城を奪回した。新田目城には、旧城主新田目隼人が返り咲いた とされる。 慶長六年(1601)、小野寺氏は関ヶ原の戦いで西軍に属したために改易された。 新田目城も、このときに廃城となったと推測される。 <手記> 荒田目集落のどこかが新田目城跡ということですが、現状はごく普通の集落で、 遺構らしきものは見当たりません。周辺諸城と同じく、浮島のような集落そのもの を囲って城砦化していたのでしょう。 |
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荒田目集落を南東から臨む。 | |
荒田目集落のようす。 |