南条城(なんじょう)
 別称  : 鳥山城、烏山城
 分類  : 山城
 築城者: 鳥山時明か
 遺構  : 土塁、堀跡、井戸跡
 交通  : JR内房線館山駅からバスに乗り、
      「豊房」下車徒歩15分


       <沿革>
           『安房志』によれば、里見家臣鳥山弾正左衛門大夫時貞の居城で、鳥山氏は時明・時正・
          時貞の3代続いたとされる。付近い鳥山という地名はなく、その素性は詳らかでない。また、
          明治時代の『日本地理志料 安房』に「烏山弾正」と誤って記載されたことから、長らく烏山城
          (うやまじょう)と呼ばれ、『日本城郭大系』でもそちらで掲載されている。
           天文三年(1534)、里見義豊が従兄弟の里見義堯の下克上により犬掛の戦いで討ち死に
          すると(稲村の変)、義豊の正室であった時貞の娘は南条城に逃れたものの自害した。時貞
          も稲村城で戦死したとされ、鳥山氏は滅んで南条城も廃城となったとされる。城山西麓には
          「首洗い井戸」と伝えられる古井戸があり、このときの内乱と関連があるものとも考えられる
          が、詳細は不明である。
           天正九年(1581)、大多喜城主の重臣正木憲時が謀叛を起こして討伐されると、里見義頼
          は正木氏の女との間に生まれた次男に名跡を継がせ、大膳亮時堯と名乗らせた。時堯は、
          廃城となっていた南条城を修築して、自身の居城としたとされる。慶長十九年(1614)に義頼
          の孫忠義が改易されるまでの間に、再び廃城となったものと推測される。


       <手記>
           先人さまの諸サイトによると、城山の南東麓に鎮座する八幡神社から登り道があるとのこと
          でした。しかしながら、行ってみると登山口は倒木やら藪やらで完全に埋もれており、とても
          入れそうにありませんでした。ここに限らず、房総半島の山は近年相次ぐ大型台風の影響で
          かなり荒れてしまっているようです。正規ルートがこの様子では、ほかに取りつく島があるよう
          にも思えなかったので、潔く諦めることにしました。
           登っていないのに考察というのもなんですが、1つ気になるのが鳥山氏の出自です。前述の
          通り、周辺には鳥山氏の本貫となるような地名などはみられません。南方1kmのところには、
          里見氏が館山平野進出の足掛かりとして築いたとみられる千田城跡があります。とすると、
          あるいは鳥山氏初代の鳥山時明は、安房里見氏初代で義豊の祖父とされる里見義実と共に
          安房へ入国し、義実が千田城へ移ったころに、同じく南条城を築いたのではないかとする推測
          が成り立つように思います。

           
 南条城跡を望む。
登城口のある八幡神社。しかし…。 
 登城口はご覧の状態でした。


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