ブライザハ城
(
Burg Breisach )
 別称  : ブライザハ要塞
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: ツェーリンゲン公ベルトルト5世
 交通  : ブライザハ駅徒歩15分
 地図  :(Google マップ

       <沿革>
           フライブルク城主ツェーリンゲン公ベルトルト5世は、1198年に神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ6世が
          薨去すると次期皇帝候補の一人となったが、選出の見込みがないと悟ると候補を辞退する代わりに、
          ブライザハを含む多くの領地や代償金を獲得した。ベルトルト5世はブライザハの丘に城を築いたが、
          1218年に男子なく没してツェーリンゲン家の男系は断絶した。
           ブライザハ領は帝国に収公され、1254年にドイツ王コンラート4世が早世して大空位時代を迎えると、
          バーゼル司教が支配者となり、城を騎士の館に改装した。1273年にハプスブルク家のルドルフ1世が
          ドイツ王となると、1315年にブライザハ城は帝国の直轄城(ライヒスブルク)とされた。1469~74年の
          間はブルゴーニュ公国の抵当となっていたが、それ以外は帝国の城代が派遣されたとみられる。
           1500年ごろから町全体の城塞化が図られ、1614年以降は近代要塞へと改修された。三十年戦争
          さなかの1633年、ブライザハはオットー・ルートヴィヒ・フォン・ザルム=キーブルク=メルヒンゲン
          率いるスウェーデン軍に包囲された。1638年にもヴァイマル軍に包囲され、帝国は深刻な食糧不足に
          陥っていたブライザハに援軍を送ったが、8月9日のヴィッテンバイアーの戦いでヴァイマルとフランス
          の連合軍に敗れた。ブライザハ要塞はなおも抵抗を続けたが、援軍の見込みがなくなったため、12月
          17日に降伏を余儀なくされた。
           1648年のヴェストファーレン条約により、ブライザハは正式にフランス領となった。17世紀末葉には、
          フランスの要塞設計家として名高いヴォーバンの下、ブライザハ要塞は大きく拡張された。1673年と
          1681年には、フランス国王ルイ14世も視察に訪れている。1697年、大同盟戦争に伴うレイスウェイク
          条約によってブライザハはハプスブルク帝国に返還され、フランスはライン左岸防衛のために新しく
          ヌフ=ブリザック(新ブライザハの意)を建設した。
           1703年、スペイン継承戦争に伴ってライン川を渡ったフランスのヴィラール公の軍勢によって包囲
          されたブライザハ要塞は、激しい攻防の末に陥落した。1714年のバーデン条約を経て返還されたが、
          このときの全権もヴィラール公であった。
           オーストリア継承戦争さなかの1741年、フランスが対墺参戦してライン川を渡ると、ハプスブルク家
          にはブライザハを守備するだけの兵力が不足していたため、マリア・テレジアは要塞の破棄を命じた。
          フランス軍はブライザハを占領し、1745年のドレスデン条約を受けて撤兵したが、その際に改めて
          要塞を爆破している。1793年に、残っていた城塔もフランス革命軍の砲撃を受けて破壊され、城塞と
          しての役割を完全に喪失した。


       <手記>
           ブライザハはフライブルクとフランスのコルマールのちょうど中間に位置するライン川沿いの国境の
          街です。もともとはミュンスターベルクという縦に長い丘の上に造られた街で、丘の南端にシンボルと
          なっている聖シュテファン修道院が建っています。とはいえ山上は不便だからか、旧市街の中心は
          修道院の麓、エッカールツベルクとの間に移っているようで、丘の上には店らしいものはなく、静かな
          住宅地となっています。
           修道院と反対側の丘の北東端に、狭義のブライザハ城跡があります。すなわちベルトルト5世以来
          の城館跡で、現在は野外劇場となっているようで、ハリボテの宮殿やミニチュアの塔が建っています。
          一番の見どころは西側の空堀でしょう。今は南側から地続きで城内に入れますが、当時は西辺から
          南まで空堀で隔絶されていて、北西端から橋が渡されていたようです。
           このほか、丘の北西端にはカプフ門、南端にはハーゲンバッハ塔といった遺構もみられます。東麓
          には気付きにくいですが、要塞時代の城壁も残っています。要塞時代の名残はほとんどないものの、
          ライン川対岸のフランス側には、ブライザハ防衛のための稜堡の一部が残っているのが、グーグル
          マップの衛星写真でも確認できます。
           ブライザハとコルマールの間はバスが運行されていて、途中に世界遺産にも登録されているヌフ=
          ブリザックがあります。コルマールやフライブルクを巡る際には、ぜひ併せて立ち寄ってみてください。

  
 ブライザハ城西辺の空堀。
空堀外側のブルクヴェーク(城道)。 
 ブルクヴェークから堀越しに城壁を望む。
 当時はここに橋が架かっていたそうです。
堀越しに城壁とミニチュアの城塔を望む。 
 西辺の空堀を城内側から。
ハリボテの宮殿とミニチュアの城塔。 
 城内のようす。
ミュンスターベルク北西端のカプフ門。 
 丘の中心部に建つラートブルンネン塔。
丘の南端の聖シュテファン修道院。 
 ハーゲンバッハ塔(左)と
 エッカールツベルク(右奥)。
旧市街との境の城門。 
 丘の東麓の旧城壁。
同上。 


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