岩手城(いわで)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 宇佐美房忠か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : 北陸自動車道柿崎ICから車で10分


       <沿革>
           永正十一年(1514)、琵琶島城主宇佐美房忠は、越後守護・上杉定実が越後守護代・長尾
          為景を討つべく挙兵するとこれに同調したが、岩手城で討ち死にした。これが岩手城に関する
          唯一の記録である。房忠が築いたのかなど、築城の経緯も定かでない。
           また、現存する遺構は戦国時代末期のものとみられ、当時の柿崎川流域は柿崎氏の所領
          であった。城の規模も周辺諸城より大きいことから、柿崎城に代わる柿崎氏の居城であった
          とする説もあるが、確証はない。


       <手記>
           岩手城は、柿崎川左岸の丘陵地帯の一峰に築かれています。北麓から登山道が整備され
          ており、地元の方々により中心部はかなり見学しやすくなっていて、沢筋から尾根上の堀切
          を見上げて視認できるほどでした。遠目に見える堀切は興奮しますね笑
           城山自体はとても緩やかで、支尾根も多くあまり要害地形とはいえません。房忠がなぜこの
          城に拠ったのかは私にはかなりの謎です。あるいは、長尾氏の居城春日山城を望めるという
          点が重要だったのかもしれません。
           地形的な不利を補うため、城内には何十という数の堀切が設けられているそうです。この日
          は総勢12名もの城跡好きによるオフ会で訪れたこともあり、地元の主催者のご案内で中心部
          だけ巡りました。それでも、次々に現れる堀切に諸氏大いに盛り上がりました。
           規模的にみて、柿崎氏後期の居城というのが充分に蓋然性があるでしょう。川を挟んで東に
          柿崎家の菩提寺である楞厳寺があるのも、傍証の1つとされているようです。

           
 北西から岩手城跡を望む。
登城口。 
 沢筋から堀切を見上げる。
主郭北尾根の堀切1条目。 
 同じく2条目。
 こちらは箱堀になっています。
主郭北東尾根1条目の堀切。 
 同上。
主郭虎口。 
 主郭のようす。
主郭からの眺望。 
 主郭から猿毛城跡を望む。
主郭南東の堀切。 
 主郭南東の曲輪と石祠。
主郭南尾根の堀切。 
 主郭南下の帯曲輪。
主郭北東尾根2条目の堀切。 
 主郭北東尾根の塚状土塁。
主郭北東尾根3条目の堀切。 
 同4条目。


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