中館(なか)
 別称  : 江垂館、古館
 分類  : 平山城
 築城者: 桑折元家か
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR常磐線鹿島駅徒歩25分


       <沿革>
           江戸末期に編纂された『奥相志』の中館の項によれば、「往昔国司源顕家の時 桑折
          五郎元家伊達郡桑折より来り江垂館に住し真野五郎と号す 其後田中塁に移り 居る
          こと七世なり 古記にいふ 江垂館は天文中古城と唱ふ 古館の跡なり」とある。江垂館
          は中館の別称とされ、南北朝期に南朝の北畠顕家に従っていた元家が、いずれかの
          時期に中館へ移ってきたことになる。元家は伊達家庶流桑折氏の一族とみられるが、
          詳しい系譜は明らかでない。また、元家が中館を新造したのか、もともとあった城館に
          移っただけなのかも不明である。
           天文十二年(1543)、黒木城主黒木弾正信房は、弟の中村城主中村大膳義房ととも
          に相馬氏に反旗を翻し、田中城へ攻め寄せた。城主であり、元家の後裔の桑折久家
          は、激戦の末に討ち死にした。伊達氏と対峙していた相馬顕胤は急ぎ軍を返し、中館
          に本陣を構えて黒木兄弟を襲い、降伏させた。元家以降、中館は桑折氏の支砦だった
          ものと思われるが、詳しい動向は不明である。現地説明板によれば、中館にはその後
          16世紀末ごろまで城代が置かれ、廃城となったとされる。


       <手記>
           中館は大きく北館と南館の2区画から成り、その間は空堀で隔てられているとされて
          います。日吉神社の南側に横一線の長大な土塁があり、その南側が北館です。北館
          の大部分は墓地と更地で、その奥は林となっています。真っすぐ行くのはかなり藪が
          キツイのですが、西側サイドから回り込むと、その先に堀切がみられます。堀底を歩く
          のもまた大変なのですが、東側は沢谷戸とつながっているようです。この堀の南側が
          南館ということでしょうが、こちらは民家の敷地なので見学は難しそうです。
           『大系』によれば、日吉神社境内も北館の二の丸に相当する曲輪とみられています。
          たしかに、神社の北側を下ったところに「おみたらし」という水場があり、かつての城の
          水源だったとすれば、このあたりまでが城域だったとする推測は妥当でしょう。
           ちなみに中館の北西には、真野古城(新城)および桜平古館と続きます。私見として
          は、これら3城館は黒木兄弟の反乱の際に併せて取り立てられたものと考えています。

           
 日吉神社北側沿道にある説明板。
日吉神社。 
 北館北辺の土塁。
同土塁を郭内側から。 
 北館のようす。
北館と南館の間の空堀。 
 同空堀を東側から。
 こちらは谷とつながっているようです。
日吉神社下のおみたらし。 


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