吹井氏城(ふきいし) | |
別称 : 吹井堡 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 吹井大三郎か | |
遺構 : 土塁、堀 | |
交通 : 伊賀鉄道猪田道駅からバスに乗り、 「予野西出」下車徒歩5分 |
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<沿革> 現地説明板によれば、天正九年(1581)の第二次天正伊賀の乱に際して、吹井大三郎が 他の予野の土豪らと共に柏原城へ立て籠もったとされる。後に、伊賀国の新領主となった 筒井家に出仕し、文禄年間(1592〜96)の太閤検地の時点でまでは当地に居を構えていた とされる。 大三郎の藤七郎は慶長元年(1596)に、伊賀を出て元筒井家臣で石田三成に仕えていた 島左近を頼り、同五年(1600)の関ヶ原の戦いで討ち死にしたとされる。これが正しければ、 慶長元年を以て廃城となったとみられるが、確証はない。 <手記> 予野にはいくつもの伊賀式城館が並んでおり、吹井氏城は最も西側に位置しています。 南東は杉山八三郎城と向かい合い、また東方約1kmには、伊賀三大上忍の1つ千賀地氏 (服部氏)の千賀地城もあります。 城内は3分の2ほどが民家の敷地として開発されており、東辺から北東隅にかけての堀と 土塁が残っています。南東麓には説明板が立てられており、ここから畑の脇の藪へと突入 します。 |
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吹井氏城跡全景。 | |
南東麓の説明板。 | |
東辺の堀と土塁。 | |
北東隅の堀と土塁。 | |
同じく土塁のようす。 |