二つ山北砦(ふたつやまきた)
 別称  : 二つ山砦
 分類  : 平山城
 築城者: 徳川家康
 遺構  : 削平地
 交通  : JR東海道本線藤枝駅徒歩25分


       <沿革>
           天正六年(1578)三月から、徳川家康は武田方の田中城攻略の軍を何度も起こしたが、
          攻め落とせずにいた。『家忠日記』によれば、翌七年(1579)九月に大井川を渡った徳川軍
          は、酒井忠次に命じて「二つ山」に陣取らせた。このときも田中城は落ちなかったものの、
          より駿府に近い持舟城の奪取に成功している。
           田中城自体は天正十年(1582)の武田家滅亡まで持ち堪えているが、二つ山の陣城が
          再び使用されたかどうかは定かでない。


       <手記>
           一般に、二つ山は岩城神社の鎮座する八幡山(岩城山)と、南側の正泉寺裏山(本宮山
          を指すとされています。ただし、八幡山の西隣には昭和団地となって消滅した藤五郎山が、
          東隣には同じく消滅した池田山があり、本宮山の代わりにこの藤五郎山を挙げる説もある
          ようです。
           正泉寺には広い駐車場があるのでこちらを拝借し、北砦(八幡山)もそこから歩いて訪ね
          ました。岩城神社本殿は東西2つのピークの鞍部にあり、社殿裏手にあたる西側のピーク
          には、頂部の削平面と前方に堀切状地形を挟んだ小さな塚状地形、および脇に帯曲輪状
          の平場が見られます。
           一方の東側は、頂部から尾根先側に3段の削平地が続いています。西側についてはどこ
          までが遺構か断言できない部分がありますが、東側はまず城砦の造成とみてよいでしょう。
          そもそも城を攻める側の陣城なので、二つ山を中心に軍兵を駐屯・展開できればよく、そこ
          までしっかりと造り込む必要はなかったものと思われます。
           他方で、東麓には武田家臣青島氏の池田屋敷があり、あるいはもともと青島氏の詰城が
          あったものを転用したとも考えられます。

           
 八幡山を見上げる。
岩城神社。 
 本殿西側のピーク。
ピーク前方の堀切状地形と塚状地形。 
 帯曲輪状の平場。
本殿東側のピーク。 
 その1段下の削平地。
さらに3段目の削平地を俯瞰。 


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