浜尾館(はまお)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 浜尾氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、
      「和田」下車徒歩15分


       <沿革>
           二階堂家臣浜尾氏の館とみられる。浜尾氏の出自は詳らかでないが、浜尾村はもとの
          名を北沢村といい、浜尾氏が入植したことにより改名したとされる。その後、早ければ15
          世紀中ごろに、新田館を築いて移ったものと考えられる。
            同じころ、二階堂治部と北沢民部が反乱を起こし、二階堂為氏が須賀川に下向して
          これを鎮圧した。このとき、和田城主須田秀一が為氏に助力し、戦後に秀一の五男源蔵
          秀顕が浜尾村を与えられたとされる。ただし、民部を北沢村由来の土豪とすると、浜尾氏
          の事蹟と齟齬が生じるため疑問が残る。
           その後の浜尾館の扱いについては定かでない。天正十八年(1589)十月の須賀川城
          攻防戦に際し、籠城方に浜尾城主矢部主膳の名がみえるが、これが浜尾館を指すのか
          は不明である。


       <手記>
           浜田地域体育館の北東一帯が浜尾館跡とされ、比定範囲内に熊野神社があります。
          現況は果樹園及び宅地で、城館跡につながるものは見あたりません。西辺がわずかに
          段差になっていて、氾濫原の沖積地の縁に築かれていることはうかがえます。
           付近には矢部館や山川館が近接していますが、そこまで開発に適した土地だったとは
          思えず、この地域が二階堂氏らにとってどのような意味をもっていたのか、少々気になる
          ところです。

           
 浜尾館跡現況。
熊野神社。 
 西側縁の段差。


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