後城 ( Hinterburg ) |
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別称 : 古シャーデック城、ヒンターブルク城 | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: 不明 | |
交通 : ネッカーシュタイナハ駅徒歩25分 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> ネッカーシュタイナハの「四城」の1つ。4城のなかでは最も古いとされる。1100年代前半に、 ヴォルムス司教シュタイナハ家によって築かれたと伝えられる。シュタイナハ家はマイセンに 起源をもつ一族とされるが、詳しい系譜は不明である。ヴォルムス司教に名前を連ねている シュタイナハ家の人物にはコンラートがいる(在位1150~71)が、シュタイナハ家側の記録に よれば、コンラート・フォン・シュタイナハは1163年に没している。1142年時点で、コンラートの 兄弟のブリッガーがこの城に居住していたとされる。ブリッガーの子ブリッガー2世は、ミンネ ゼンガー(Minnesänger)と呼ばれる宮廷恋愛詩の作り手として知られる。しかし、ブリッガー 2世に至るまでの系譜には混乱があり、今なお議論の的となっている。 13世紀初頭、ブリッガー2世によって五角形の縄張りに増改築されたとされる。シュタイナハ 家の嫡流は1272年に絶え、城はシュパイヤー司教の手に渡った。その後、城はほとんど崩落 寸前にまで朽ち果てたといわれる。1344年になってようやく、シュパイヤー司教ゲアハルトは ヴィンプフェンの司教座聖堂首席司祭ペーター・フォン・ムーアと共同で城を再建し、新たに館 が増築され、司教の代官所が置かれた。 1375年、後城はコンツ・ミュンヒ・フォン・ローゼンベルクに与えられた。1426年には、ヴァイ プレヒト3世・フォン・ヘルムシュタットに譲られ、15世紀末までヘルムシュタット家が城主家と して続いた。この間、城はたびたび改築され、また前城にあったシュタイナハ家(コンラートの 子孫とされる)とヘルムシュタット家の間に婚姻関係がもたれた。1490年にマルティン・フォン・ ヘルムシュタットが没すると、マルティンの2人婿であるブリッカー14世・ラントシャート・フォン・ シュタイナハとハインリヒ6世・フォン・ハントシュースハイムの共同所有となった。1497年に、 ハントシュースハイム家の単独所有となったが、1529年にフィリップ・フォン・ハントシュース ハイムが嗣子なく世を去ると、シュパイヤー司教座に城の所有権が移った。16世紀中ごろに、 シュパイヤー司教からハンス・プライカルト1世・ラントシャート・フォン・シュタイナハに与えられ るという形で、再びシュタイナハ家が城主に返り咲いた。 だが、シュタイナハ家は1653年に無嗣断絶し、後城はしばらく無主の城となったが、1657年 にはヴォルフ・ハインリヒ・フォン・メッテルニヒ=ブーアシャイトが城主となった。メッテルニヒ家 の下で、四城は再び同一城主家に統一されることになった。 1753年にはメッテルニヒ=ブーアシャイト家も断絶し、ヴォルムス司教座およびシュパイヤー 司教座の領地となったが、1803年の陪臣化(Mediatisierung)によりネッカーシュタイナハ一帯 はヘッセン領となった。後城と中城はドルト男爵家が相続したものの、1910年に同家は後城 の所有権を放棄し、これにより城の廃墟はヘッセン邦の管轄となった。 <手記> 後城は、ネッカー川とシュタイナハ川に挟まれた細長い峰の、先端から数えて3番目に位置 しています。「後城(Hinterburg)」とは、中城や前城に対する位置関係から名付けられたもの と考えられ、早くとも中城が築かれた12世後半以降の呼称であると推測されます。別名の古 シャーデック城は、今日シャーデック城と呼ばれる燕巣城との比較によるもので、シャーデック (Schadeck)とはシュタイナハ家の役職号であるラントシャート(Landschad)にちなんだものと 考えられます(「シャートの峰」の意。ただし、ラントシャートがどのような役職かは不詳)。 私邸のため立ち入りできない中城を横目に少し尾根を登ると、ほどなく後城跡にたどり着き ます。今では廃墟ですが、目にできる遺構からだけでもかつてはなかなか立派な城であった ことがうかがえます。特徴は、不等辺五角形の縄張りです。規模は違いますが、宇和島城の 五角形によく似ているように思います。きれいな輪郭式の城で、主郭の周囲に3つの帯曲輪 (ツヴィンガー)と空堀が巡っています。 主塔に登ることもでき、ここからはおそらく四城のなかで最も開けたネッカー川ののどかな 風景を望むことができます。そもそも四城で見学可能なのは後城と燕巣城のみなのですが、 燕巣城まではそれなりに山登りをしなければならないのに対し、後城は大して距離も高低差 もなく行き着くことができるので、ネッカーシュタイナハの町では一番の観光名所となっている ように思います。 |
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後城(右)と燕巣城(左)。 | |
中城(右)と後城(左)。 | |
最外郭の空堀。 | |
堀底から主郭を見上げる。 | |
主郭の門跡と主塔を望む。 | |
主塔。 | |
城からの眺望。 |