山崎城(やまざき)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 広瀬利治
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR高山本線飛騨国府駅徒歩20分


       <沿革>
           時期は不明だが、国人・広瀬左近将監利治の居城として築かれたとされる。広瀬氏は藤原利仁の
          後裔を称し、14世紀後半までには広瀬郷を領していた。利治は広瀬行宗の子といわれる。
           天文年間(1532〜55)、利治は高堂城を新たに築いて移ったとされる。その後の山崎城の扱いに
          ついては定かでない。


       <手記>
           飛騨国府駅のすぐ背後にある山の頂部が山崎城跡です。国府小学校裏手にあたる峰の西麓から
          尾根筋に登山道が整備されています。しばらく登ると、城跡好きにはどう見ても堀切と土塁に思える
          地形が数か所あるのですが、土塁の上には「古墳調査票」というのが掛けられていました。実際に
          古墳なのかどうかは分かりませんが、古代が専門の方からすれば、どう見ても古墳なのでしょう。
           山頂までは2つほど小ピークがあり、主郭に最も近い尾根筋の堀切になってようやく、城跡としての
          解説が登場しました。主城域も大小2つのピークから成り、小さい方が副郭とみられます。全体的に
          曲輪形成があまりはっきりしておらず、規模や完成度としては、高堂城や広瀬城とは比べものになり
          ません。同じ稜線上には、東へ向かって中山砦境の峰城と続くので、広瀬氏時代を通じては使用
          されていたと思いますが、あるいは三木氏が広瀬氏を滅ぼしてからは、あまり顧みられていなかった
          とも考えられます。

           
 北西から山崎城跡を望む。
飛騨国府駅から山崎城跡を見上げる。 
 尾根筋の堀切および土塁状地形。
 現地には「古墳調査票」が掲示されています。
古墳調査票。 
 同じく堀切および土塁状地形。
尾根筋の堀切。 
 途中の小ピーク。
小ピーク脇の堀状地形。 
 尾根筋の堀切。
 唯一城跡としての表示があります笑
主城域北側の小ピーク。 
 副郭を見上げる。
副郭とその周囲の帯曲輪。 
 主郭のようす。
主郭の説明板。 


BACK