保土原館(ほどわら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 保土原氏
 遺構  : なし
 交通  : JR東北本線須賀川駅徒歩25分


       <沿革>
           二階堂氏庶流保土原氏の館跡とされる。保土原氏は、『二階堂浜尾系図』によれば
          二階堂盛藤の次男藤顕を祖とするとある。同系図に見える盛藤は須賀川二階堂氏の
          祖にあたる人物とみられるが、一次史料等でその名は確認できない。
           天正十年(1582)に二階堂行親が急死し、その母で先代盛義未亡人である大乗院
          (阿南の方)が須賀川城主となると、二階堂家中は須田盛秀を中心とする親佐竹派と
          保土原行藤(江南斎)を中心とする親伊達派に分裂した。伊達政宗の実の伯母であり
          ながら反伊達派であった大乗院が甥との対決姿勢を顕わにすると、同十七年(1589)
          の政宗による須賀川城攻めに際し、行藤は寝返って伊達勢の先鋒を務めた。
           行藤は引き続き政宗に仕え、和歌など風流の才を愛された。翌天正十八年(1590)
          の小田原の役により伊達氏の所領が大きく削られると、行藤も須賀川の地を去った。
          このときまでに、館も廃されたものと推測される。


       <手記>
           須賀川市立博物館の建つ丘が保土原館跡です。遺構はありませんが、博物館へ
          上がる道の脇に石碑が建てられています。須賀川城のある台地の先端部という立地
          は、すぐ北の守谷館と似ており、須賀川城周辺に設けられた重臣屋敷の1つであった
          ものと思われます。
           ちなみに、保土原館というと一般的にはこちらですが、保土原氏の本貫地は市内の
          保土原地区と推定され、そちらにも保土原氏の館跡とみられる遺構があります。

           
 保土原館跡石碑。
館跡に建つ須賀川市立博物館。 


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