船田城(ふなだ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不詳
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道線岐阜駅よりバス
       茜部本郷バス停下車


       <沿革>
          船田城は、美濃国守護土岐氏の居城川手城の支城である。守護代斎藤妙椿に仕えていた
         船田城主石丸利光は、妙椿の死後その子斎藤利国(妙純)と対立した。利光は、同じく斎藤氏
         に不満を抱いていた守護土岐成頼らと謀って、明応三年(1494)に利国暗殺を企てたが、この
         ときは失敗に終わった。
          翌四年(1495)、利光は成頼の子元頼を擁立して再び挙兵、斎藤氏との間で「船田合戦」に
         及んだ。敗れた利光は船田城を焼き、元頼を伴って近江六角氏のもとへ逃れた。
          この後、再び船田城が使用されたかは不明である。


       <手記>
          船田城は、川を挟んで土岐氏の居城川手城や、守護代斎藤氏の居城加納城と接しており、
         3城は互いに連携する形で国府川手を形成していたものと思われます。ただし、遺構はおろか
         詳しい所在地も今では定かではありません。
          城の南西には、名人久太郎で知られる堀秀政の上茜部城がありました。


           


船田城周辺現状。奥に見える学校の建物近辺が川手城址。


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