古寺砦(ふるてら)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不詳
 遺構  : なし
 交通  : 東武東上線/JR八高線小川町駅
      からバスに乗り、「北根」下車
      徒歩30分


       <沿革>
           『上古寺村誌』によれば、松本喜太七郎忠興が治承四年(1180)に源頼政の敗死
          を受けて、古寺砦に籠居したとある。また『青木家譜』には、忠興が宇治川の先陣に
          敗れて蟄居したとある。ただし、先陣争いで有名な宇治川の戦いは寿永三年(1184)
          であり、争ったのは佐々木高綱と梶原景季である。『青木家譜』には同様の誤りが
          山田館の山田氏にかんする記述にもみられ、忠興の実在についても確証はなく、
          信憑性が高いとはいえない。
           『日本城郭大系』でも平安末築城説には懐疑的で、長享年間(1487〜89)ごろに
          腰越城の出城および慈光寺への備えとして築かれたとする伝承により信を置いて
          いる。慈光寺は75の僧坊と寺領1200石を擁する勢力を有していたとされ、上杉氏や
          後北条氏と対立した。時期は定かでないが、松山城主上田朝直が後北条氏の命を
          受け、慈光寺を焼き討ちにしたと伝えられる。これにより古寺砦も役割を失ったもの
          と思われるが、詳しい動静は不明である。


       <手記>
           古寺砦は今も正確な位置が判明しておらず、一般的には採石場として山ごと消滅
          したと考えられています。「今昔マップ」を参照する限り、東の直下に松郷峠を扼する
          上の地図の緑丸付近に、それと思しきピークが見られます。
           したがって城跡自体を訪ねることは不可能と思われますが、北の峰先にある氷川
          神社から、尾根伝いに接近することは可能です。途中、1か所堀切の痕跡のような
          切れ込みが見受けられましたが、消滅したピークまでは距離があり、遺構かどうか
          は難しいところです。

           
 氷川神社から尾根伝いに南下し、
 突き当りから見た比定地現況。
氷川神社。 
 尾根筋にある堀切のような痕跡。
 ただし、比定地からはやや距離があります。


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