久保氏城(くぼし)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 久保康教か
 遺構  : 土塁、堀、虎口
 交通  : 伊賀鉄道上野市駅からバスに乗り、
      「大山田支所前」下車徒歩15分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によると、明治十六年(1883)の『明治地誌取調上申書』に伊賀郷士
          久保主計介康教旧城と記載されているとある。久保氏の出自や康教の事跡、また康教
          が築いたのかなど、詳細は不明である。


       <手記>
           鳳凰寺集落北側の丘陵には轟城轟西城・久保氏城の3城が集まっていて、久保氏城
          は一番東にあります。丘陵の麓は獣除けフェンスでぐるり囲われており、3城とも、訪ねる
          には久保氏城南西麓のゲートをくぐらなくなりません。はじめ私は轟城中腹の立派な堀を
          前に、フェンスに遮られて唖然としてしまったのですが、ダメ元で久保氏城の方も回って
          みて、ありがたくもこのゲートを発見しました。
           久保氏城は舌状の峰の中途付近に築かれた伊賀式城館で、前後に堀をもち、前方の
          堀を挟んだ先端側は、土塁と同じかそれ以上に高い削り残しとなっています。同じような
          構造は、南方の喰代地区にある奥氏城などにも見られ、外部から城内のようすを窺い
          にくくする蔀の役割があったものと推察されます。

 久保氏城跡を望む。
 麓に獣除けフェンスのゲートが見えます。
尾根筋の堀状地形。遺構かは不明。 
右手が蔀状の削り残しです。 
 南西隅の堀と土塁。
土塁上のようす。 
 城内のようす。
南東辺の虎口。 
 背後の空堀。


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