岩田山城(いわたやま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 武田勝頼か
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線藤枝駅からバスに乗り、
      「藤枝総合庁舎北」下車徒歩20分


       <沿革>
           史料には見られない。『日本城郭大系』では、発掘調査結果や地勢から天正三年(1575)
          以降に武田勝頼によって、徳川勢への備えとして築かれたものの、未完成で放棄されたと
          推測している。


       <手記>
           岩田山城跡は光洋台の住宅地となっており、開発に先立って発掘調査が行われ、曲輪や
          堀跡、柱穴などが検出されたそうです。『大系』の記述によると、岩田山の南側中腹にあり、
          東西が沢谷になっていたということで、古い航空写真と照らし合わせて光洋台南公園の付近
          ではないかと推察されるのですが、お世辞にも分かりやすい文章とはいえず、断言はできま
          せん。
           地形的にさして要害というわけでもなく、勝頼が築いたとすると、諏訪原城を奪った徳川勢
          を大井川で食い止めるための前線基地とするつもりだったのでしょう。眼下には諏訪原から
          駿河へ向かう街道が走り、南東には徳川家康が田中城を攻めた際の陣城とされる二つ山砦
          があります。

           
 光洋台南公園のようす。
同上。 
 公園からの眺望。


BACK