伊豆木陣屋(いずき)
 別称  : なし
 分類  : 陣屋
 築城者: 小笠原長巨
 遺構  : 書院、門、石垣
 交通  : JR飯田線飯田駅からバスに乗り、
      「興徳寺下」下車徒歩3分


       <沿革>
           慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後、小笠原長巨が伊那郡内に1千石を与えられ、
          伊豆木に陣屋を設けた。長巨は松尾城主小笠原信嶺の弟で、徳川家康の関東移封
          に従っていたため、松尾小笠原氏の旧領の一部に復帰したことになる。もともとは、
          信嶺の婿養子で武蔵本庄城主の小笠原信之(実父は酒井忠次)が松尾への帰還を
          命じられていたものの、本人が拒んだため家康の不興を買い、懲罰的に長巨が僅か
          1千石を与えられたとする説もある。ただし、当の信之は何事もなく本庄藩主の座に
          留まっている上に、同十七年(1612)には古河藩へ加増・転封となっていることから、
          信憑性には疑問が生じる。
           伊豆木小笠原家は交代寄合として11代続き、明治維新を迎えた。


       <手記>
           伊豆木は地形的には少々奥まったところにありますが、三遠南信自動車道が開通
          したことで、車であれば天竜峡ICから10分弱とアクセスしやすくなっています。書院が
          重要文化財に指定されていますが、陣屋跡そのものは史跡とかではないようです。
           背後の山には伊豆木城跡があります。遺構から見て江戸時代の陣屋と直接の関係
          はなさそうですが、あるいはこの伊豆木古城の居館跡を利用して、陣屋が建造された
          とも考えられます。
           書院の内部は、係員の方の案内で見学できます。外側が懸造りとなっている風流な
          建物で、明治以降は小笠原家の住居として改変された部分もあり、そうした点を辿る
          のも1つの見どころといえるでしょう。
           係の方の話で面白かったのが、随所に最高級の木目の板材や柱が用いられている
          というくだりです。私にはよく分かりませんでしたが、その道の職人さんなどが見ると、
          目を丸くするような貴重な木材なのだそうです。これは、小笠原家が江戸の城や町の
          建材として、天竜川を通じた材木調達を命じられた際、表向きは余材で陣屋を整備した
          として、良質の木材をストックしていたのだそうです。「バレなかったんですか」と尋ねた
          ところ、家老が呼ばれていろいろと言い訳したらしいとのことでした。

           
 書院と通用門。
書院玄関。 
 書院の懸造り。
物見櫓跡。 
 櫓台脇の陣屋門跡。
門跡と櫓台を見上げる。 
 陣屋跡入口。


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