深大寺城(じんだいじ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡、土塁、堀、櫓台
 交通  : 京王電鉄調布駅またはつつじヶ丘駅よりバス
       「深大寺小前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           扇谷上杉朝定が、相模を拠点に勢力を拡大する北条氏綱に備えるため、深大寺城を取り立て
          再興したとされる。再興ということから、すでに何らかの城館が営まれていたと考えられているが、
          朝定以前の城について、築城者や築城年は分かっていない。『日本城郭大系』では、朝定の父
          朝興の代に氏綱に奪われた江戸城に対する備えとして、上杉方によって利用されていた可能性
          を指摘しているが、立証はされていない。
           朝定は、重臣難波田弾正忠憲重(善銀)を城将に配して北条勢を待ち構えた。しかし氏綱は、
          天文六年(1537)に直接朝定の居城河越城を落としたため、深大寺城では取り立てて合戦らしい
          ものは起こらなかったとみられている。
           河越落城によって深大寺周辺は北条氏の領土となり、役割を失った深大寺城はそのまま廃城
          とされたものと考えられている。


       <手記>
           深大寺といえば寺の門前町と神代植物公園で有名ですが、深大寺城址は深大寺とバス通りを
          挟んだ向かい側、深大寺水生植物園の隣にあります。訪れたのが休日ということもあり、門前は
          かなりの賑わいを見せていましたが、深大寺城址や水生植物園は受けるって変わってのんびりと
          した時間が流れていました。とくに水生植物園は神代植物公園と違って無料で散策できる小湿原
          といった感じで、都会の喧騒を忘れるにはうってつけです。
           さて、深大寺城は南麓に野川が流れる多摩川河岸段丘の先端に築かれた城です。西側のみが
          峰続きで、北と東はおそらく水生植物園が如実に語るように湿地帯であったと推測されます。南東
          端の主郭を中心に3つの曲輪からなる城で、主郭と二ノ郭の遺構が良好に残っています。とりわけ
          主郭と二ノ郭の間の堀と土塁は、堀が復元により盛り直されていることもあって見応えがあります。
          また南西端の二ノ郭の土塁は堀を挟んで二重になっていて、これも圧巻です。
           主郭は、ど真ん中に仕切り土塁があるのが特徴です。何かを区分けるためのものと思われます
          が、とりたてて説明のようなものはありませんでした。上杉氏の居城であった河越城には、最奥に
          天神曲輪と呼ばれる、神を祭った小区画があります。もしかしたら同様に城の守神を祭っていたの
          かもしれないと感じました。
           『大系』の片倉城の項では、深大寺城と片倉城の縄張りの類似を指摘しています。両城はともに
          舌状台地の先端を利用している以上、縄張りが似ているのは必然といえます。しかし、片倉城には
          深大寺城にはない鉤字に折れた堀が取り入れられており、明らかに後北条氏の改修が加えられて
          います。翻って、北条氏は深大寺城を使用していなかったことが、片倉城との比較からいえるもの
          と思われます。

           
 主郭と二ノ郭の間の堀と土塁。
深大寺城址碑。右奥は櫓台。 
 本丸のようす。
 本丸の仕切り土塁。 
 二ノ郭の土塁。
二ノ郭の二重の土塁と堀。 
 二ノ郭の建物跡。
 掘立柱建物であったため、柱穴にオブジェが打ち込まれています。
水生植物園と深大寺城址(右)。 


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