金子氏館(かねこし)
 別称  : 金子十郎家忠館
 分類  : 平城
 築城者: 金子氏
 遺構  : なし
 交通  : JR八高線金子駅徒歩15分


       <沿革>
           金子氏は、武蔵七党の1つ村山党の一族で、村山頼家の子家範にはじまる。家範の子十郎家忠
          は、19歳の時に保元の乱で初陣を飾ったことが『保元物語』にある。その後、治承四年(1180)の
          衣笠城の戦いには平家方で奮戦したものの、家忠は源頼朝の再起後は源氏方として活躍した。
           応安元年(1368)の武蔵平一揆で、金子家祐は河越直重ら一揆側についたが、敗れて勢力を
          弱めた。天文十五年(1546)の河越合戦で北条氏康が上杉連合軍を破ると、金子家長は北条氏
          に従った。天正十八年(1590)の小田原の役では、金子家基が武州松山城に詰めていたが、前田・
          上杉勢に降伏した。同役で北条氏が滅亡すると、金子氏はそのまま上杉景勝に仕え、金子の地を
          去った。ここに、金子氏の館は廃されたものと推測される。
           なお、八王子城金子曲輪を守った金子家重は同族といわれる。

       <手記>
           金子氏館跡は、現在瑞泉院境内および墓地となっています。『日本城郭大系』では、「金子十郎
          家忠館」となっていますが、家範から家基まで同じ場所に館を構えていたとすると、家忠1代どころ
          か、12世紀後半から16世紀末まで400年以上続いた館ということになります。
           金子氏館跡は市の史跡に指定されているそうですが、遺構は何もありません。館は、三方を狭山
          丘陵の尾根に囲まれ、眼前に霞川を望む絶好の地にあります。ただ、霊園開発が進み、館跡一帯
          の地形はかなり改変されてしまっています。
           館の遺構はありませんが、瑞泉院裏手の一画に金子一族の宝篋印塔が残っています。

           
 金子十郎家忠一族墓の石碑。
金子一族の宝篋印塔。 
 金子氏館跡周辺現況(瑞泉院)。


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