方ノ上城(かたのかみ) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 狩野介貞長か | |
遺構 : 曲輪、堀 | |
交通 : JR東海道線焼津駅からバスに乗り、 「関方」下車徒歩25分 |
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<沿革> 南北朝時代初期に、安倍城に拠った狩野介貞長によって築かれたと伝えられるが、 確証はない。明応二年(1493)ごろ、今川氏親によって城跡が再び取り立てられたか、 新築されたものとみられている。 天文五年(1536)、今川氏輝死後の家督争いである花倉の乱に際して、方ノ上城は 玄広恵探を擁する福島氏・斎藤氏らに占拠された。しかし、恵探の異母弟・栴岳承芳 (今川義元)方の岡部親綱に攻められ、落城した。まもなく恵探も拠点とした花倉城を 攻め落とされ、逃亡したものの自害して果て、乱は終息した。 <手記> 方ノ上城は、高草山から派生する標高230mの支峰上にあります。麓の海抜が10m 前後のため、比高220mとかなり高所にあり、正面から見ると円錐形の切り立った姿を しています。南西麓から登山道があるようですが、車であれば付け根まで上がること ができます。茶畑脇に城跡の大きな説明板が見えたら、もう少し登ると広めの待避所 があるので、そこに駐車するとよいでしょう。ただし、細くうねった農業用の道なので、 小回りの利く車でないと怖いかもしれません。 付け根からのルートはいったん鞍部へと下ります。途中、幻の池と呼ばれる平坦地 があり、あるいは水源が得られていたのかもしれません。再び登りはじめて少し行くと、 最初の堀切に至ります。 方ノ上城は、主郭背後の尾根筋に5本ないし6本もの堀切を設けているのが大きな 特徴です。一方、曲輪は山頂の主郭部分とその前方の副郭、そして主郭側の2本の 堀切に挟まれた曲輪の3つしかありません。 しかも、頂上にある経塚がそのまま主郭となっており、副郭もごつごつと岩場が露出 していて平面がほとんどありません。張りきった堀切の造作に比べると、山頂の曲輪 形成は中途半端に感じます。経塚は狼煙台とみられていますが、立て籠もるほどの 機能は、もともとそこまで求められていなかったように思われます。花倉の乱の後は、 新たに築かれた花沢城に地位を譲り、そのまま廃城になったのでしょう。 |
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付け根側へ回る農道から方ノ上城を望む。 | |
最後尾の堀切。 | |
こちらは遺構かどうか不明な造作。 | |
2(3)条目の堀切。 | |
3(4)条目の堀切。 | |
4(5)条目の堀切。 | |
最後の2条の堀切に挟まれた曲輪跡。 | |
5(6)条目の堀切。 | |
主郭の経塚。 | |
副郭のようす。 | |
副郭先端の古墳。 | |
主郭からの眺望。 |