北入江館(北いりえ) | |
別称 : 金谷(カナヤ)長者屋敷 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 入江氏 | |
遺構 : なし | |
交通 : 静岡鉄道静岡清水線狐ヶ崎駅徒歩15分 | |
<沿革> 入江氏一族の館跡とされる。入江氏は工藤氏初代藤原為憲の孫・工藤時信の子・維清が、 平安時代後期に駿河国有渡郡入江荘へ入植したことにはじまるとされる。吉川氏や相良氏、 岡部氏、天野氏などは同族とされるが、鎌倉時代末ごろまでの入江氏本家の動静は詳らか でない。 南北朝時代に足利尊氏麾下で活躍した入江春倫・春則父子は、摂津国高槻城を築いて 移ったとされ、遅くともこのときまでに駿河国の入江館は廃されたものと推測される。 <手記> 静岡県の遺跡地図によると、清水第八中学校から旧東海道にかけてのあたりが北入江館 の比定地だそうです。周辺には東入江館と南入江館も存在したとされていますが、いずれも 市街地化していて遺構はありません。 比定地には姥ヶ池と弁財天があり、金谷長者にまつわる伝説が残っています。曰く、この地 に屋敷を構えていた金谷長者という金持ちは、神仏に子宝を祈願したところ、男の子を授かり ました。ある年ひどい咳の流行り病に男児が罹ると、乳母がこの池の弁天様に祈って入水し、 子供の病は癒えたとか。長者が乳母に感謝して社を建てると、池の底から泡が立ちはじめた ため、姥ヶ池と呼ばれるようになり、咳に悩む子供たちや東海道の旅人がお参りをするように なったそうです。 ただし、この伝説は延暦年間(782〜806)のこととされるため、事実とすれば入江氏の入植 以前に金谷氏が居館を構えていたことになります。 |
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姥ヶ池と弁財天 |