郡城(こおり) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 中路氏か | |
遺構 : なし | |
交通 : 阪急京都線西京極駅徒歩10分 | |
<沿革> 土豪中路氏の居城とされる。桂川を挟んだ対岸の桂城にも中路氏がおり、関係は不明ながら 両者は同族とみられている。 『言継卿記』の天文二十一年(1552)十一月二十八日の項に、西院城主小泉秀清と郡の中路 修理が城を「自焼」し、将軍足利義輝の拠る霊山城へ向かったことが記されている。翌二十二年 (1553)七月には、三好長慶に寝返った秀清が西院城を修築して立て籠り、義輝軍がこれを攻め たが、三好方の援軍が到着したため撤退した。同月十六日付の『言継卿記』には中路若狭守が 郡城主であったことが記されており、中路氏も秀清と同じく三好氏に属して郡城を再建していた ものと思われる。 『日本城郭大系』によれば、永禄十一年(1568)に織田信長が上洛した後、廃城となった。 <手記> 現在の郡念仏寺を中心とする一帯が郡城主とされています。山本正男「京都市内およびその 近辺の中世城郭」(『京都大学人文科学研究所調査報告 第53号』)によれば、かつては北と 西の堀が残り、周辺には城ノ内、ジョウヤブ、カンマイなどの城館に関連する字が残っていたと されています。 今日ではすっかり宅地化されていて、遺構や案内等は何もありません。中路氏のご子孫は、 城域内に今もお住まいとのことです。 |
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郡城址に建つ郡念仏寺。 |