国沢城(くにさわ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 国沢氏
 遺構  : なし
 交通  : 土佐電鉄はりまや橋電停下車


       <沿革>
           国人国沢氏の居城である。国沢氏は、森氏・千屋氏・蚊居田氏と並び、土佐七守護に次ぐ
          地位にあったといわれる。戦国期、城主国沢将監は本山氏に属していた。弘治二年(1556)、
          同じく本山氏に従属していた秦泉寺氏の秦泉寺城が長宗我部国親に攻められると、将監は
          大高坂氏とともに秦泉寺氏を援けた。秦泉寺氏は国親に降伏したが、国沢氏は本山氏方に
          留まったようである。
           永禄三年(1560)の長浜戸の本の戦いで本山茂辰が長宗我部氏に大敗すると、国沢氏は
          抗しきれずに長宗我部氏に降った。
           天正十五年(1587)、長宗我部元親は岡豊城から大高坂城への居城移転を計画した。
          大高坂城にほど近い国沢城は城下町の計画域に入っていたと思われるが、国沢氏の土居
          そのものは残されたとされる。元親の大高坂移転は、天正十九年(1591)の浦戸城再移転
          によって中断され、国沢城周辺の建設計画は中途のまま打ちやられたものと思われる。
           国沢氏は、長宗我部氏の改易の後に香美郡山田へ移ったとされ、このときまでには城は
          廃されていたと考えられる。


       <手記>
           国沢城は、高知市街も中心地、はりまや橋交差点の西南付近にあったとされています。
          当然ながら遺構その他は全く残っていません。地形上からいって、城というより土居(館)で
          あったと思われます。

           
 国沢城址付近現況。
おまけ:日本三大がっかり名所の1つ、はりまや橋。 


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