間宮豊前守康俊宅
(まみやぶぜんのかみやすとし)
付山田弾正宅(やまだだんじょう)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 間宮康俊(および山田弾正か)
 遺構  : 不詳
 交通  : JR東海道本線他大船駅徒歩25分


       <沿革>
           『新編相模国風土記稿』によれば、「二伝寺の艮方に連れり今陸田とす三段余」の地が、天正
          (1573〜92)の末に間宮豊前守康俊の住したところとされる。間宮氏は北条氏の重臣で、玉縄
          衆に属していた。間宮氏の居城は笹下城とされており、当屋敷は玉縄衆としての役宅か持ち場
          であったと推測される。あるいは、二伝寺背後の二伝寺砦の守備を任されていたとも考えられる。
          康俊は、天正十八年(1590)の小田原の役に際して山中城を守り、壮烈な討ち死にを遂げた。
           『記稿』には、康俊宅址の前に続く陸田に「山田屋舗」の小字が残り、これを山田弾正宅址と
          する記述もある。ただし、山田弾正なる人物については不明である。

       <手記>
           二伝寺の艮方(北東)で、藤沢市渡内に属するという『記稿』や『日本城郭大系』の記述から、
          上の地図に示した範囲が比定地と思われます。二伝寺砦の丘から舌状にせり出した台地の縁
          にあたり、南東の谷戸口には旧鎌倉道とされる二伝寺坂があります。ここに玉縄城の外郭施設
          があったということは、十分に想像できます。
           すでに陸田は失われ、失礼ながら決して広いとはいえない平坦面の上に、住宅が身を寄せて
          並んでいます。今では、康俊宅や山田氏宅の小字が具体的にどこを指すのかを探るのは困難
          と思われます。

           
 比定地周辺現況。
同上。 
 


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