三木城(みつぎ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 松平康孝
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄西尾駅またはJR岡崎駅からバスに
      乗り、「中村」下車徒歩15分


       <沿革>
           岡崎城主松平清康の弟康孝は、16世紀前葉に碧海郡三木を領して三木城を築き、三木
          松平家をを興した。天文十一年(1542)に康孝が若くして没すると、兄の合歓木城主松平
          信孝がその遺領を横領した。信孝は、同四年(1535)の守山崩れで清康が暗殺され、叔父
          の桜井城主松平信定が岡崎城を占拠した際、清康の遺児竹千代(広忠)の宗家復帰を
          援けたことで、後見として権勢を振るっていた。以後、信孝の系統が三木松平家を称して
          いることから、このとき信孝は居城を三木城へ移したものとみられる。
           増長した信孝は他の重臣の不興を買い、天文十二年(1543)に広忠の代理として駿府の
          今川義元へ伺候している間に、妻子を岡崎城から追放された。さらに、広忠軍に三木城を
          奪われた信孝は、織田信秀に通じて山崎城を築き、宗家と対立した。
           信孝は天文十七年(1548)に広忠に敗れて討ち死にし、信孝の子重忠は広忠の子家康
          に仕えた。しかし、三木松平家が三木領を回復したかは定かでなく、三木城が存続したか
          どうかも定かでない。


       <手記>
           安藤川沿いに、上三ツ木町と下三ツ木町にまたがって「城堀」という小字があり、三木城
          はこのあたりにあったものとみられています。ただ、周辺は水田に囲まれたのどかな集落
          で、城跡らしきものはまったくありません。

           

三木城跡比定地現況。


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