三ツ木城(みつぎ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 足立遠元か
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : JR桶川駅よりバス
       「城山公園西口前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』では、城主として足立右馬允遠元と石井丹後守の名を挙げ、
          「いづれも定かならず」としている。現地説明板では14世紀の築城としているが、論拠は
          不明である。
           遠元は武蔵国足立郡に拠った平安末期の武士で、源頼朝の挙兵に従い、十三人の
          合議制に加わる有力御家人となった。遠元の館跡とされる場所は、桶川市内だけでも
          三ツ木城のほかにも2か所ある。旧足立郡内に広げるとさらに伝承地は増え、特定は
          困難といえる。ただし、遠元の一子遠村が三ツ木城の東に延びる川田谷を苗字として
          いることから、『日本城郭大系』では足立氏ゆかりの館があったものとみなしている。
           もう一方の石井丹後守は、戦国時代の岩付太田氏家臣とされる。『埼玉県史』では、
          北西の石戸城とともに松山城岩付城の連絡の役割を負っていたと推測している。


       <手記>
           三ツ木城にちなむ城山公園が目印で、園内の池の南西の道を歩いていると、城跡
          の説明板があります。三ツ木城は北向きの小さな舌状台地を利用した城で、三方を
          囲む公園は、もともとは深田か湿地帯だったものと思われます。
           説明板の裏手に幅の広いコンクリート溝があり、それをひょいと越えると城山に取り
          付けます。斜面を登ると横堀状になった豪壮な空堀が現れます。堀を越えてもうひと
          登りすると土塁の上に出て、その内側が主郭となります。先端付近には櫓台のような
          高まりもあり、造作量はそれなりに大きいものと拝察されます。少なくとも、足立遠元
          の館跡のままではないことは確かです。
           三ツ木城の立地とみると、石戸城と同じく北向きの舌状地形にあり、同時期に同じ
          目的で整備されたとみるのは妥当でしょう。すなわち扇谷上杉氏と山内両上杉氏が
          争った15世紀の長禄の乱に際して、扇谷上杉氏家宰太田氏によって築かれたとする
          のが最も自然と思われます。

           
 城山公園の池越しに三ツ木城跡を望む。
三ツ木城跡説明板。 
 
 空堀。
同上。 
 土塁の上。
土塁上から主郭内を望む。 
 同上。
櫓台状の土塁の高まり。 


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