百草城(もぐさ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡、堀跡
 交通  : 京王電鉄百草園駅徒歩15分


       <沿革>
           一部の城郭研究家などにより城の存在が指摘されているが、資料や遺構調査などによる確認は
          とられていない。それゆえ、百草城という名称ともども、推測の域を出ていない。
           城址とされる百草園裏山の南には百草八幡神社が鎮座している。百草八幡神社は、永承六年
          (1051)、陸奥守として赴任する途中の源頼義によって創建されたと伝わる。頼義は、鶴岡八幡宮
          の前身となる鶴岡若宮も創建したとされ、同じ源氏の氏神である八幡宮がここに建てられたことは、
          この地が当時交通の要地であったことを示唆していると考えられる。
           百草城がもし存在したとすれば、おそらく鎌倉街道と並行する形の脇往還を監視するための城で
          あったと推測される。


       <手記>
           百草園は、多摩川南岸の多摩丘陵の山腹にあります。この周辺の多摩川南岸には、高幡城
          関戸城大丸城と川の渡しとセットで城が築かれているため、百草の山に城があったということは、
          論理上は十分に考えられます。百草園裏山は、頂上とその北の峰が見晴らし台となっていて削平
          されたスペースがあり、その四周は切岸状になっています。ただ、これらが当時の遺構かどうかは
          判断のしようがありません。
           また、峰の南北には堀切状の遺構も見られます。これらの遺構らしき痕跡と、地理上の条件から
          城の存否を推測するより他にありません。

           
 見晴らし台周辺のようす。
北の峰のようす。 
 見晴らし台の北側。堀切と土橋跡か。
 百草八幡神社。 


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